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DMU総合研究所のホームページをご覧いただき有り難うございます。

私たちは、要求の上に創造を、怒りの上に希望を置き、生産的共同体としての自由闊達な職場を交渉によって形成する労働組合です。冠称のDMUは、結成当初の名称である「デモクラティック・ユニオン」に由来しています。

Confiance,

Confianceすなわち信頼とは、雇用契約を始めとする全ての契約関係、ひいては人間関係の基礎となる意思であり、決断です。私たちは、労働組合として希望し求める良い職場を、信頼関係が密である職場と定義します

したがって私たちは、所謂ブラックユニオンに見られる拠出金目当てに退職和解を求める団体交渉あるいは倫理的に肯定されない意図目的に基づく団体交渉は一切実施しません。その裏付けとして、結成当初から規約において役員による組合財産の分配、配当を禁止し、現在に至るまで、役員報酬、行動費等の名目を問わず一切支出していません。

他者に対するなんらかの批判を伴う活動は、社会人の倫理と健全な感性に照らして受け入れられる合理的なものにかぎり、相当の注意をもって実施します。

これは、私たちの社会生活上のあらゆる価値が究極的には社会の成員相互の信頼関係に根ざしていることに対する深い自覚に基づくものです。

Amour,

Amourすなわち愛とは、「愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることです。私たちは、労働組合として、労働と労働を取り巻くあらゆる存在、例えば顧客、同僚、経営者、社屋、車輌そして商品を愛することを、組合員に強く期待します。

愛するということは本質的に与えることであり、受け取ること、ため込むことはその結果にすぎません。逆説的ですが、私たちが、愛すること、与えることを基礎とする働き方を現実に示すことは、私たちの誰もが試みうる最も確実で説得的な賃上げの交渉方法ではないでしょうか。

再びフロムの言葉を借用しますが、「愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである」ということです。

したがって、経営者が既に持っている金銭や権力を”要求”して自己の取り分を増やすこと、今よりも少ない労力で多くの物を得たいと考えて組合を隠れ蓑にサボるといったことは、私たちの活動目的ではありません。

ところで、私たちは、職業を愛することを妨げる”労務管理”に対して、明確に、かつ強く反対します。

職業を愛するということは、私たちが、労働を通じて私たち自身を与えることが可能であることを前提としています。つまり、職場においては、私たちの「喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみ」などが、労働そのものや労働におけるコミュニケーションを通じて自由に表現可能でなくてはなりません。

「終わりのないコンベアーの上に労働者がのっているような」職場にこそ、団体交渉による改革が必要とされているのです。

※括弧書きの箇所はE.フロム『愛するということ』より引用

Respect,

Respectすなわち尊敬とは、自己、他者ひいては全ての存在をかけがえのない貴重なものであると認め、それに相応しい扱いを自ら示すことです。

そこで私たちは、組合の品位、信用、知識水準の向上を貪欲に求め、一日として理想追求の手を休めません。私たちが労働に参画することが、尊敬する他者に私たち自身を与え、愛するということであるとすれば、品質の悪いもの、手抜きをしてでっち上げたもの、実際には役に立たないものを提供するわけにはいかないのです。

また私たちは、全ての他者に対する尊敬を行動で表現する私たちが、私たちがそうするように他者から尊敬され、保護されることを強く信頼します。

知られているように、法治国家に生きる私たちは、労働条件の向上、未払賃金、基本的人権を含む多くの権利を、国、会社、その他の第三者に”要求”することができますし、訴えを提起すること(裁判を受ける権利)も認められています。

しかしながら、本来的には、権利とは、社会からの報酬として、それに相応しい資質を備えた者、それに相応しい働きを実際にした者におのずと提供されるべきであり、一切の批判的活動及び裁判手続を含む強制力の行使は、それが明白に不当な悪意によって提供されないときに限り実施されるべきです。

市民的自由を認める以上、他者に対する強制は原則ではなく、あくまでも例外でなければなりません。このことを忘れると、国際社会においては戦争が起き、社会生活は人間として貧困なものとなり、紛争が頻発するでしょう。

著名なベートーベンの交響曲第九の題材となったシラーの詩作『歓喜に寄す』では、次のように、自他に対する尊敬に裏打ちされた生命の昂揚がうたわれています。

重い苦悩には不屈の勇気を
無実のものが泣いているところには救いを
固い誓いには永遠を
友にも敵にも真実を
王座の前では男子の誇りを
兄弟よ、たとえ財産と生命をかけてでも
功績には栄冠を
偽りのやからには没落を!

もっとも、現実の社会生活では、対立する相手方に全ての真実を開示すること、何らかの信念のために本当に財産と生命を賭けることは困難かも知れません。それでも、業種・職種を問わず、毎朝出勤し労働に取り掛かるとき、私たちは、労働することによって尊敬すべき他者と現実に関わり合うのですから、まさしく王座の前に進み出ているのです。

そのような貴い機会が私たちの職場という形で提供されていることに感謝するとき、それを成り立たせている全ての同僚、顧客、経営者、株主、取引先に対する敬意は、一時としてこれを欠くことができません。

私たちは、組合員に、そのような自負を体現する行動を強く期待します。

Fine.

私たちは、プレカリアートユニオンのパート専従者を中心に、当初はその”組織内労働組合”として成立しました。

今や、労働組合とは野党の集票及び幹部の酒宴を目的とする”御用組合”であり、ユニオンといえば、思想が極端で社会性と職歴のない者が”団結”と称して野合し、不合理な主張を掲げ、時には街宣車なども使用して暴力的に金銭を要求する団体であるという理解がなされています。

しかも、このような労働運動の惨状を無批判に受け入れ、ブラックユニオンの顧問弁護士に就任し、労使双方から搾取する貧困ビジネスにいそしむ”ブラック労弁(労働弁護士)”まで散見される始末です。私たちのもとには、しばしば、ブラック労弁の被害を受けた元依頼者からの被害相談が寄せられます。

ブラック企業、ブラックユニオン、そしてブラック労弁、これら全てに共通する特徴として、「なるべく楽をしてカネを稼ぎたいし、有名にもなりたい」という強欲と高慢、それと同時に、「自分自身の働きによっては富も名誉も得られないので、他者から奪い取るしかない」という、ブラックな者たち自身の可能性に対する深淵のような絶望を挙げることができます。

特に、後者ふたつに関しては、富の無限の追求を否定する左派の立場をとりながら、資本家と何一つ変わらない彼ら自身の強欲さを制御できず、結果的に社会運動に擬態しながら貧困ビジネスを展開するという倫理の欠如と矛盾をきたしているのです。

私たちも、発足当初は現在に増して未成熟であり、社会運動の内部にあって倫理を訴えること以外に指針が無く、外部から突きつけられる悪意のエネルギーに対抗する意思を欠き、ただ翻弄されていました。

労働組合を相手方として本格的な労働争議を開始した私たちに対する風当たりは非常に強く、社会運動を口実にサディズムを正当化する貧困ビジネス関係者とその同調者、そして3名ものブラック労弁が次々と立ち現れ、私たち組合と役員個人を破滅させようと試み、あらゆる攻撃手段を繰り出してきたのです。

しかしながら、私たちは、これらの全てに対して降伏することなく本人訴訟で立ち向かい、勝利し、現在は、私たちも自身も優秀な弁護士に依頼してブラックユニオン問題の最終的な解決を目的とする訴訟提起をしています。

組織面でみても、ブラックユニオンの被害者を中心に40名近くの組合員が結集し、信頼、愛、尊敬の原則が、資本主義社会に内在する様々な悪意に対抗しうる合理的な信念であることが実証されようとしています。私たち自身や私たちの職場が変わることができるように、労働組合も、また変わることができるのです。

職場において、対立の前に調和を、服従の前に知を、批判の前に建設を持ち込みたいと望む方は、ぜひ、当組合の扉を叩いてください。既存の”労働運動”の利権に便乗しない私たちの活動領域に、聖域ないし限界はありません。


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