弁護士の「不正・非行・犯罪」と闘う当事者たちのシンポジウムでの原告の訴え

皆様、こんにちは。私が先日N弁護士、H弁護士を提訴いたしました原告です。名前については、生活のこともあり、匿名希望でお願いします。

今回の提訴に至る経緯をかいつまんでお話したいと思います。

9年前にさかのぼりますが、私は以前、外資系金融会社で営業職をしていました。性格も明るく、お客様の信頼も厚かったと自負しております。自分で申し上げるのもとても気遅れするのですが、歩合制の会社で、歩合の率は社内でもトップに近い状態でした。しかしそれは隠してあくまで謙虚に働いていました。

そんな私は、ある日いきなり会社より退職勧奨を受けました。理由は、お客様2名から、私の隣の席の女性社員から悪質なセクハラを受けたという苦情の電話を同僚の私が受け、上司に報告したから以外に考えられません。上司から私に嫌がらせが始まり、数ヵ月後、当時の不況で人員整理の際に私が指名されました。上司に理由を聞くと、君が優秀なのは皆承知で感謝しているが会社が不景気でと言われ、人選理由はありませんでした。

会社を訴えることを避けたかった私は即刻某ユニオンに加入し、団体交渉を申し入れました。会社側弁護士は、

「優秀な方にも、やめて下さいとお願いするしかありません」

などと、机に手をついて土下座まがいの格好を繰り返し、全く話になりませんでした。そのうち退職勧奨に応じないという理由で整理解雇になりました。私から是が非でも解決金の上前をピンハネしようとするユニオンから訴訟を禁じられ、無理やりに都の労働委員会に不当労働行為救済申し立てをされ、大幅な時間ロスをしました。都労委の審問のために弁護士をつけ、同時に結局地位確認訴訟として提訴したのは退職勧奨からほぼ1年後でした。某ユニオンの、紛争解決ではなく解決金を巻き上げようとする実質及び徹底した男尊女卑のひどい実態は、また別の重要な社会問題として明らかにする機会を持ちたいと思います。

地位確認訴訟については3人の弁護士さんが受けてくれると言われましたが、その中でもN弁護士は、

「この裁判で負けたら日本の司法の崩壊です!」

とどんと机を叩き熱意を見せたので、N弁護士にお願いしました。

しかし、N弁護士はその本当の顔を徐々に現しました。2003年8月、お願いした地位確認訴訟を起こしましたが、その提訴直後になり突如、

「あなたの尊厳は会社に傷つけられた。損害賠償請求訴訟を起こせ。」

と強い口調で命令されました。私が

「そんなのは下らない。絶対にやりたくない」

と言ってもN弁護士は聞く耳を持たず、何度も呼び出されては凄まじい癇癪で提訴を迫られ、泣いて断ると、提訴しないと地位確認訴訟に影響するぞとまで言い、判を押すまで脅され続けました。判を押さないと地位確認訴訟の代理人から降りるのではないかという恐怖感から結果的に嫌々判を押すことになりましたが、判を押すや否やN弁護士はころっと変わって大喜びし、好き勝手に訴額を決め訴状を書き、提訴しました。傍聴支援者から何でそんな意味不明な裁判をするのだと口々に言われ、N弁護士に執拗に脅され無理やり提訴されたと泣きました。今思えば、これは私が不本意な提訴をすることにより、他の弁護士に行かせない為の作戦だと思います。

また、受任当初は、

「正義のため勝訴を勝ち取りましょう!」

と言っていたN弁護士ですが、地位確認訴訟を提訴し半年後位に第一回目の和解があると、突如豹変し、

「解雇後から今までの給料を貰って辞めろ」

と、会社側が泣いて喜ぶような会社に有利な提案を強制してきました。私が和解をしないと言うと、N弁護士は、

「心証が悪くなり負ける。絶対和解しろ。」

と大声で喚き散らかしました。それでも私が和解を断ると、和解期日に裁判官に、N弁護士は

「Aさん(以下私の苗字をAとします)は他に職を探すことに決めました」

「復職して6ヶ月したら退職します」

と勝手に私が同意もしていないことを述べました。

その後、会社は挙証責任があるのに有力な証拠も出さず、私は成績表や詳細な業務日誌も含め書証も提出し、裁判官もこちらに有利な心証を述べていました。2004年12月の証人尋問も有利に終わりましたが、その翌週の弁論準備期日、いつも温和で冷静だった裁判官が書記官室に入室するなり、傍聴者がいる前で、

「Aさんが非常に良い仕事をし、同僚よりも優秀であったことは、誰も疑う余地はありません。しかし、Aさんの地位の確認をすることは出来ません!」

と意味不明な心証を興奮気味に叫び、持っていた書類をバーンと机に叩きつけました。一同あ然とし、全く訳がわからないと傍聴支援者同士で何度も話し合いました。最近になってお話した元N弁護士の依頼者も、いきなり理由もなく書記官室で裁判官に怒鳴られて驚いたと話されていましたが、これは単なる偶然なのでしょうか。

それ以来、N弁護士は私に対して凄まじいパワーハラスメントと暴言を始めました。

「負ける!負ける!」

と絶叫し、

「先生、負ける根拠は何ですか」

と私が聞くと、

「そんなの分かる訳ないじゃないの!」

と怒鳴られました。打ち合わせはほぼ毎回夜10時にN弁護士に指定され、

「忙しいのにやってやってるんでしょうが!」

とあごで事務所の時計を指して怒鳴られ、

「私はAさんに期待していたの!」

と泣き叫ばれたり、

「裁判で負けたらどう責任をとってくれるのよ。」

と言われたりもしました。

また翌2005年の2月には、都労委の和解に際して、都庁の食堂で、

「和解をするポーズとして和解を受けろ!」

「上申書を提出しろ!」

「それ以外は受け付けられない!」

とテーブルを叩いて怒鳴られました。その恐怖で上申書を提出したところ、地裁の裁判官に、

「大きな決心をしましたね。それでいいのですか。」

と言われ、私は悔しさのあまり裁判官の前で泣いてしまいました。

同年3月に地位確認訴訟が結審してから、ますますN弁護士の暴言に拍車がかかり、夜10時に事務所に呼び出されては、

「負ける!負ける!」

と絶叫され、

「労働弁護団の仕事をやりたくない」

「仕事が面白くない」

など何時間も裁判に関係ないことに時間を費やされた上に、夜2時や3時まで時間がずれこみ、私は無職なのに、何度もN弁護士のオフィスから6000円近いタクシー代を払って帰宅させられました。また、この頃から私の体調がかなり悪くなりました。その後も土日や夜に街中に突如呼び出されては暴言を吐かれたりしました。

地位確認訴訟の地裁判決言渡日は2005年5月26日でしたが、5月7日の打ち合わせで、N弁護士は、5月26日を空欄にした手帳を私に見せつけ、

「判決には行かないわよ!」

「ギロチン台にはあなた一人で登りなさいよ!」

と大声で私を怒鳴りました。私はN弁護士に怒鳴られた恐怖感と焦燥感に打ちひしがれました。地位確認訴訟の一審は敗訴しましたが、N弁護士は、

「前代未聞の不当判決だ。」

「私は高裁の逆転が得意だ。」

「頑張ろう。」

等と言いました。

しかし、控訴した後、N弁護士はミーティングをドタキャンし、私と一切の連絡を絶つようになりました。控訴理由書が控訴してから50日以内と裁判に詳しい友人に聞いていたので7月にN弁護士に連絡をすると、

「控訴審のことについて連絡をせず、Aさんと傍聴者に対して失礼なことをしたというご指摘でしょうか」

というメールが返ってきました。控訴理由書の提出をしたのは9月下旬、N弁護士の虐待防止のためにお願いしていた追加弁護士であるH弁護士(N弁護士が選任。私には相談もなく勝手に決められました)が着任したのは10月になってからでした。

H弁護士は、全くN弁護士の言いなり弁護士で、さすがに深夜の打ち合わせはなくなったものの、地位確認訴訟が高裁に入っても、N弁護士は相変わらず

「負ける!負ける!」

など暴言を吐き続けましたが、H弁護士がそれを止めたり、間に入ったり、私をフォローすることはなく、いつもにやにやと笑っているだけでした。H弁護士に、

「解雇されて大変ですね」

等の優しい言葉をかけてもらった記憶が全くありません。

そしてN弁護士とH弁護士は、約一年半の高裁の弁論のほとんどを遅刻してきました。15分遅れることもざらにあり、2人とも来ないので裁判官が私を呼んで弁論を始めたことすらありました。

2006年7月の高裁の和解期日にN弁護士は、高裁の控え室で、傍聴者がいる前で突如、

「今日は和解しなさい!和解に応じないなら私は話さないから自分で裁判官に話せ!」

と怒鳴りました。私の気持ちは動揺し、緊張のあまりほとんど何も裁判官に話せませんでした。

また、

「負ける負ける」

とN弁護士から余りに言われるので私の精神状態が悪化していると、当時私がかかっていた医者に指摘されたため、

「負ける負けるはやめて下さい」

とお願いすると、N弁護士は

「その医者は私が懲戒に当たるというのか」

と言うだけでした。

また同年7月に損害賠償請求裁判も敗訴しました。私は二人の滅茶苦茶な訴訟活動とパワハラ、暴言に嫌気がさし、是非男性の弁護士を弁護団に入れて欲しいと懇願しましたが、H弁護士は鼻で笑い、N弁護士は

「懲戒に当たると医者に言われた人間が人選していいのか」

などと訳の分からないことを言い、依頼者である私の要求を全面的に無視しました。

同年12月、損害賠償請求裁判の控訴審の期日の帰りに二人に呼び止められ、裁判所1階の弁護士控え室前の廊下で突然、口々に、

「どうせ高裁は負けるから上告しないで頂戴!」

「判決は行かないわよ!」

と言われました。私はあまりのショックに、部屋のソファから3週間ほど動けなくなり、その間の記憶が余りありません。ソファの布が擦り切れてしまいそのソファを捨てました。

同年12月26日の控訴審判決敗訴により、当時住んでいた会社の社宅から退去するよう命じられたため、N弁護士に、具体的な退去日を尋ねると、

「裁判が負けて悔しいから腹がたつ、不法占拠して少なくとも3月までは住んでいるように」

と言われました。H弁護士も勿論同席していました。私は何度も退去日をメールで尋ねましたが、2人から何も返答がありませんでした。2007年2月1日、突然執行官が自宅を訪問し、1ヶ月後に必ず出て行くようにと言われたので慌ててN弁護士に電話すると、

「ありゃ、そりゃそうよ、出て行かないと」

と笑って言われました。私は慌てて住居を探しましたが、全く準備もしておらず、無職で容易に行かず、突如家なしになってしまい、友人の家を泊まり歩いたり、ホテルに2週間滞在するなどして1ヶ月間着の身着のままで彷徨いました。本気で死にたいと思いました。

また、上記判決により、被告会社に対し、社宅の家賃相当額を払う義務が発生しました。そのため振込先と額を教えて欲しいと何度もN弁護士とH弁護士に依頼し、二人ともその度に了承しましたが、結局ふたりともこれを放置したため、遅延損害金の支払義務が発生しました。詳しくは後述します。

結局、このような徹底した両弁護士の精神的虐待のため、また、最高裁に入ってから二人に徹底的に無視され(高裁の判決後、二人はまた

「前代未聞の不当判決」

と激怒し、上告審を受任する姿勢を見せましたが、一旦受任したらまたも豹変しました)、N弁護士が最高裁に提出すると2回も約束した書類も提出されなかったため、私はあまりのストレスで最高裁係争中の2008年2月、胃潰瘍レベルの酷い胃炎を突如発症しました。私は、元来病気一つしたことなく、退職勧奨された後でさえ、ハーフやフルのマラソンを完走するぐらいの健康体でした。

その後、私の胃潰瘍は慢性化し、その他、喘息、カンジダ症、蕁麻疹などなどを次々発症しました。全てがストレスなどで発症しがちな病気であり、これらの原因は彼女たちの精神的虐待が原因である以外に考えられません。これらの診断書は書証として訴状と共に提出しました。

最高裁の上告棄却の決定が2008年6月10日に出されましたが、N弁護士は普通郵便でそれを私に送り、私が結果を知ったのは6月15日でした。N弁護士は、小さなポスト・イットに

「残念でした」

「事務費の精算をしましょう」

と書いてありました。そして2人は私を避けるようになり、裁判の説明の場も設けようとしませんでした。

「裁判の説明をして欲しい」

と私が言うと、同年6月21日に、A4で2枚の紙を送ってきましたが、裁判の説明は何も書いていませんでした。これが私の意に反した訴訟活動について私が得た解説の全てです。

「これは裁判の説明ではない」

と再三要求して、同年8月1日にやっと説明の場を持ちましたが、両弁護士とも全く説明しようとせず、N弁護士は

「あなたに悪いところなんて何も無いのよ」

と言ったり、私の、

「このような異様な判決はどれくらいあるのでしょうか」

との質問には

「データベースがないから答えられないわねー」

などと笑って回答し、私を嘲笑しました。また、

「高裁判決後に労働判例からも異様な判決で問い合わせが来ているというのはどうなったのでしょうか?」

と私が聞くと、N弁護士は隣室に逃げました。そして、私の高裁判決について

「不良社員」

とカテゴライズされている労働判例のコピーを差し出しました。

当時、私はN弁護士の異様な行動から、別の弁護士に懲戒の相談をしていましたが、その弁護士は、この労働判例を見て

「余りに酷い」

と言いました。そして、これを見ると地裁の時にも載っているはずだとその弁護士に指摘され、私は気を失いそうになりました。案の定、後日、N弁護士の事務所から、地裁の時の労働判例のコピーを送ってきました。彼女は、世間には私を不良社員と言い広めながら、何年間もその事実を隠して同時に私には全く反対のことを言い、代理人になっていたのです。

また、上記8月1日のミーティング後、N弁護士とH弁護士は、突如として

「代理人を立てる」

という配達証明を送ってきました。そして9月26日、両弁護士の代理人2名(当時、N弁護士の夫の寺井一弘弁護士の事務所所属)から、突如として配達証明が送られてきましたが、

「用件は文書でお知らせください」

と書いてありましたので、寺井弁護士の事務所に電話をしたところ、受付の女性から、

「面接禁止、電話禁止、通信は文書のみ」

と門前払いされました。また、同配達証明には、会社からN宛に送付された家賃支払の督促状が同封されており、N弁護士とH弁護士が故意に私の支払い詳細の依頼を放置したため、遅延損害金89万円が発生していたことがその時になってようやく発覚しました。

概ね以上の経過を(一部を除きます)説明した懲戒申立書を

「これはあまりにも酷い」

と私に同情してくれたある弁護士に作成してもらい、書証50枚余りを付けて、2009年2月、東京弁護士会に懲戒請求しました。同年10月の審問期日に綱紀委員の方から

「完璧な書類であり何も質問がない」

と言われたにもかかわらず、また、N弁護士からは話題を逸らした書面と、書証も提出されなかったに関わらず、1年3ヶ月後の議決は、懲戒なしでした。

尚、N弁護士の最初の答弁書に、

「裁判官が自分を負けさせるといった理由に関することとして、裁判官が請求人を性的関心をもって見ており、請求人が薬指に指輪をしていたのをみて

「負けさせる」

と告げたのだということであった。」

という、全く根も葉もない私の人格を毀損する記載があったことを書かずにはおられません。

また、2010年12月、H弁護士を東京第二弁護士会に懲戒申し立てしましたが、その答弁書には、H弁護士所属の事務所のうち、日弁連事務総長である海渡雄一弁護士以外のほぼ全員である14名の弁護士が代理人になっていました。

以上の経緯により、両弁護士を本年6月10日付で提訴するに至った次第です。

 

(上記、「N弁護士(NPO派遣労働ネットワーク理事長)ら2名の人権派弁護士を訴えた原告を支援する会のHP」より仮名処理をして引用)
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