プレカリアートユニオンが労働者ではない「活動家」に乗っ取られるまで

「非正規でも在職で労働条件の向上に取り組みたい」として、大平正巳委員長(当時)により結成されたプレカリアートユニオン。しかし、アリさんマークの引越社との労働争議を経て、素性の知れない無職者、自営業者、そして「活動家」たちが運営に介入するようになり、ついには、各地の会社に「合法的な嫌がらせ」(清水直子委員長談)を繰り返し、労働者に対しても高額の成功報酬、金品を要求する「ブラックユニオン」と報じられるようになりました。

本稿では、総会決議不存在確認等請求事件の審理が進むなかで浮かび上がった、組合員の勤務先の管理職の自宅マンションに対する誹謗中傷ビラの投函、社長自宅前での街宣車を使用した誹謗中傷など、枚挙に暇がない嫌がらせの手法によって得られた「解決金」が積み上がるとともに、古参の労働者のメンバーが放逐され、過激な「活動家」と無職者、そして”解決金利権”に群がる「ブラック労弁」ばかりが主導権を握るようになったプレカリアートユニオンの変質に迫ります。

労組法が描いた「労働組合」のすがた

労働組合は、何のために存在するのだろうか?

筆者にとって、その答えは「カネのため」でも「選挙のため」でも、ましてや「マルクス・レーニン主義のため」でもない。労働組合が存在するのは、「より善い労働のため」、ひいては、より善い労働を通じて、人々がより善く生きるためである。

労働委員会によって救済命令を受けることができる労働組合の要件を定めた労働組合法第2条及び5条も筆者と同じ立場に立っていると考える。労組法の立法目的を宣言する第1条では、このように謳われているからだ。

(目的)
第一条 この法律は、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成することを目的とする。

ここでは、全ての文節において、主語が「労働者」に置かれていること注目してほしい。これを受けて、続く2条では、労組法において保護される「労働組合」の定義を、次のように謳っている。

(労働組合)
第二条 この法律で「労働組合」とは、労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。但し、左の各号の一に該当するものは、この限りでない。

一 役員、雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とに直接にてい触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すもの
二 (省略)
三 (省略)
四 主として政治運動又は社会運動を目的とするもの

「労働条件の維持改善その他経済的地位の向上」という文言は良く知られているが、その前提となる、「労働者が主体となって」という部分は見落とされがちだ。

労組法第3条において、「労働者」とは、「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」と定義されている。とすれば、「労働者が主体となる」とは、どういうことだろう。

菅野和夫先生の『労働法』第12版によれば、「主体となって」という条文は、より具体的には、第3条で定義する労働者が構成員の主要部分を占めること(量的な主体性)、そして、同じく労働者が「組合の運営・活動を主導すること」(質的な主体性)であると解説されている。

しかし、実際にユニオンの事務所を訪問すると、いわゆる全共闘世代などの退職者、職業的な活動家たちが書記長などの要職を占めている場合が多い。このような、いかなる会社でも勤務していない職業的な「活動家」は、”労働”組合に加入することができるのだろうか。

この問いに対して、被告プレカリアートユニオン自身も証拠提出している西谷敏先生の『労働法』第3版は、「……当該団体の主要部分が労働者によって占められ、労働者のイニシアティブで結成・運営されているのでなければ、労働組合とはいえない。しかし、労働者が主体となっていさえすればよく、それ以外の者(職業的な組合運動指導者など)の加入は妨げられない」と回答する。

労働組合は、現場で額に汗して働き、労働を知る者が、よりよい労働を求めて活動する場所なのである。労働組合を主導する主体は、あくまでも労働に従事している労働者自身でなくてはならず、職業的な「活動家」たちは、加入こそ許されるものの、労働組合の主体となる(運営・活動を主導すること)は許されない。

権威ある文献を紐解くと、あくまでも労働者が上位で、活動家を下位に置く「労働組合」の本来の姿が浮かび上がる。いわゆるユニオンでは、職業的な活動家が委員長から三役などの要職を独占し、労働者は、労働問題が起こった後に駆け込み式に加入し、労働問題が解決するとすぐに脱退するというのが実態であるが、労働法学者たちの言葉は、このような「ユニオン」の現実に重大な疑問を突きつけているのではないか。

個人攻撃と嫌がらせで「勝利」した引越社事件

ここまでの議論を踏まえ、近年、週刊新潮を始めとする多数の媒体により「ブラックユニオン」との指摘がなされているプレカリアートユニオンについて見ていきたい。

プレカリアートユニオンは、平成24年4月、大平正巳委員長(当時)を中心に結成されたユニオンである。大平委員長は、職業的な活動家ではなく、品川区内の医療事業所で勤務する労働者であった。その後、田口運送・都流通商会事件、そして明成物流事件といった著名な労働事件(いずれも5000万円前後の解決金等を獲得)で勝訴するなど実績を重ね、ついには大手引越業者である引越社との労働争議に突入する。

マスメディア等では一切報じられていないが、引越社事件において、プレカリアートユニオンが「勝利」した秘訣は、嫌がらせであった。

プレカリアートユニオンは、引越社の管理職(役員ではない)であった某氏に目を付けると、同氏がコンビニにコーヒーを買いに行く様子などを無断で撮影し、ユニオンの役員である自営業者・土屋トカチこと土屋正紀氏に至っては、引越社の社内にまで侵入して事務所の内部を撮影した。そして、それらの映像は、目の部分だけに黒塗りのラインを施し、某氏があたかも犯罪者のように見える編集を加えたうえで、そのままYouTubeにアップロードされた。

嫌がらせはインターネットだけに留まらず、某氏の自宅にまで及んだ。プレカリアートユニオンは、登記簿にも載っていない同氏の自宅を何らかの手段で特定すると、マンションの全戸に同氏の似顔絵が載ったビラをたびたび投函した。これには同氏と家族もたまりかね、転居を余儀なくされたばかりか、ついには離婚に追い込まてしまったという。

会社も家庭も破壊する嫌がらせ、個人攻撃が3年間も繰り返され、ついに音を上げた。平成30年2月、引越社は、中央労働委員会において、プレカリアートユニオンに1億円の解決金を支払う和解を余儀なくされた。

「活動家」の介入と巨額の和解金

「団結」を標榜し、会社に嫌がらせを繰り返せば、労せずして多額の金品が手に入る——この成功体験を、狡猾な「活動家」が指をくわえて見ているはずがなかった。

5000万円クラスの解決金が現実のものなった田口運送・都流通商会事件等の集団訴訟での勝利から、1億円の引越社事件にかけて、プレカリアートユニオンの主導権は、にわかに「労働者」から「活動家」へと移行し始める。労組法の前提をくつがえす主客逆転の歯車が回り始めたのだ。

ここでプレカリアートユニオンの主導権を取得するべく名乗りを上げた「活動家」は、清水直子こと関口直子氏であった。

清水氏は、同氏の過去を知る古参組合員の証言によれば、かつてフリーター全般労働組合というユニオンで活動し、一時は執行委員長にまで登り詰めたものの、自分ほど多くの仕事を担っている組合員はいないと主張して金品を要求したところ、一部の組合員にだけ報酬を支給することは労働組合の主体性、平等性を損なうとして拒絶され、その後、結局は権利停止処分を受けることになったという曰く付きの女性活動家だ。

労働者・大平委員長は、平成25年4月11日、任期満了により退任してしまう。その後、田口運送事件など、多額の解決金が見込まれる事件が増加するにつれて頭角を現したのが、当初は書記長を務めていた活動家・清水氏ということになる。

活動家である清水氏は、大平前委員長が退任し「労働者」の影響力が低下するなか、平成26年12月には、自己啓発セミナーの団体で役員を務めていた知人の男性活動家を勧誘し、清水氏の右腕としてユニオンに引き入れた。その後、27年9月19日には、ユニオンの総会において自らが執行委員長、男性活動家は書記長に選任されたとして、ついにユニオンの代表者に就任する。ユニオンの主導権を獲得した清水氏は、28年11月の執行委員会において、とうとう、自らと部下の男性活動家に対し、月額20万円前後の役員報酬を支払わせることに成功する。フリーター全般労働組合での金銭要求と権利停止処分から、かれこれ5年以上の歳月が経過していた。

その後、明成物流事件などで大規模な和解が成立し、さらなる「解決金」が流れ込んだ。そして平成29年頃からは、「一時金」として、清水氏と男性活動家へのボーナスの支給まで始まった。

そして30年、引越社から1億円の解決金を手に入れ、清水氏の「役員報酬」は、あっというまに2年前の倍である月額40万円に到達する。まるで外資系企業のような昇給ペースだ。30年には、冬季だけでなく夏期の「一時金」も支給させ、ユニオンの経費から30万円前後を支出し、アメリカにも外遊した。

「この世をば、我が世とぞ思う、望月の・・・」そんな心境だったのではないか。清水氏によれば、同氏には、労働団体の活動家、あるいは自営業の経歴こそあれ、いわゆる会社員経験は一切ないという。就職活動では、五大新聞社だけを志願したが、五社の全てから「今後のご活躍をお祈り」されてしまった。清水氏の本棚には、未練からか、今も『記者ハンドブック』が眠る。

そんな清水氏が、ついに年額480万円の役員報酬と、夏冬で80~160万円の「一時金」を手に入れる立場に、40台も半ばにして、初めて立った。フリーター全般労働組合での失脚と権利停止処分から10年弱、まさに絶頂であった。

会計帳簿の隠蔽、暴力、そして排除の論理

しかし、黄金時代は、長くは続かなかった。

清水氏は、自らにはカルロス・ゴーンを彷彿とさせるペースでの昇給とボーナスの支給をしていながら、アルバイトの従業員に対しては、有給休暇も付与せず、残業代も支払っていなかった。従業員の一人は、所定2時間の労働のはずが6時間、8時間とサービス残業を命じられ、時給400円で働かされていた。

当時プレカリアートユニオンで働いていた筆者も、従業員組合の結成を検討しつつ、なるべくなら角を立てずに、話し合いで問題を解決したいと考え、清水氏に話し合いを申し込んだが、執行委員会との話し合いの余地はないと一蹴された。この先に進むならば、労組法の保護を受ける必要がある——平成31年3月2日、当研究所の母体となった従業員の労働組合「デモクラティック・ユニオン」が結成される。

平成31年1月9日、プレカリアートユニオンに民主的な話し合いの場はない、評価とは相手がするものだと宣言する清水直子氏

宮城 私も組合の対等な仲間として参加しているつもりなので、それを、民主的な話し合いの場を持たないまま、一方的にというような主旨に聞こえたので、念のため、そうじゃないよということを
清水 そうですよ。いいですか、評価というのは、相手がするものなんですよ。

デモクラティック・ユニオンでは、清水氏が大平氏の退任後、代表者が誰であるかが有耶無耶なうちに自ら「大会」を開催し、そこで自身が執行委員長に選任されたとして、ユニオンから金品を引き出す決議を繰り返していた実態を看破し、結成と同時に、清水氏に「警告書」を交付し、引き出した金品の原状回復を求めた。

清水氏は周章狼狽し、「アルバイトは労働者ではない」と主張して団交を拒否。そして、従業員労働組合の書記長であった筆者を「権利停止処分」にしたとして、解雇してしまった。しかし筆者は、法的には代表権がない清水氏による「権利停止処分」は無効であるとして、いわゆる出勤闘争を開始した。

すると、清水氏は、ユニオンの事務所に警察力を導入し、自ら「逮捕してください!」と叫び、警察に対し、筆者を逮捕することを要求した。実際に逮捕者を出した「麻生邸見学ツアー」の主催者でもあった清水氏が、組合潰しのために警察を利用し、「逮捕してください!」と絶叫する姿に驚いた社会運動関係者は少なくない。

しかも、清水氏は、労組法5条2項及びプレカリアートユニオン自身の規約によれば、組合員にたいし、少なくとも年1回、組合の会計(全ての財源及びその使途、主要な寄附者の氏名)を公開する義務を有しているにもかかわらず、会計帳簿の隠蔽を重ねていた。

無理もないことであった。プレカリアートユニオンの総資産は、平成28年9月の275万円前後から、引越社事件の直後である平成30年7月には2580万円に達していた。わずか2年弱の間に、およそ10倍にまで膨れ上がった計算である。

フリーター全般労働組合において、金品を要求したあげくに権利停止処分をうけた苦い経験をもつ清水氏としては、この総資産額と自らの役員報酬——「プレカリアート」(不安定な労働者)である組合員たちの平均年収の3倍近い——を知られてしまえば、たちまち内部から不満の声が上がり、あげくには権力の座から追い落とされる——再度の権利停止処分——という懸念を抱いたとしても不思議ではない。

28年度の決算報告書。総資産は、繰越金175万円と積立金の100万円を合計して、約275万円となる。
引越社事件で1億円の解決金を得た後である30年度の決算報告書。繰越金88万円と積立金2500万円の2588万円が総資産となる。

「無職ムラ」に成り果てたプレカリアートユニオン執行部

この間、ユニオンの執行部は、どうなっていたのか。

総会決議不存在確認等請求事件で被告プレカリアートユニオンが認めたところによれば、清水氏が「指名」する形でほとんどの代議員・執行委員が組合員の直接無記名投票を経ずに「選任」され、戦中の、政府の「翼賛政治会」に加入した「推薦候補」しか事実上当選できないことで知られた「翼賛選挙」さながらの様相を呈していることが分かった。

ユニオンは、これについても、清水氏による指名後、支部内で異議が出ていないから問題はないと開き直る主張を続けている。しかし、誰が代議員であるかを公表していない以上、「異議」が出ないのは当然であるし、そもそも労組法第5条2項及びユニオンの規約においては「組合員の直接無記名投票」が義務づけられているから、”違法”であることは動かしがたい事実である。

しかも、このような総会で「選任」された「執行委員」の大部分が、もともと無職の者や自営業者、会社役員などの明らかに労働者でない者であるか、当初は労働者であったとしても、執行委員への就任と前後して勤務先と紛争を起こすなどして最終的には退職和解に追い込まれ、その大部分が間を置かず無職になっていることが判明した。

「選任」されたという役員別に整理すると、次のようになる。一貫して労働者として働いているのは武内氏たったひとりだけで、あとは全員が無職など労働者以外の者である。その武内氏も令和2年9月に退任してしまった今、プレカリアートユニオンの執行部に労働者はひとりもいないことになる。

プレカリアートユニオン役員経験者の職業の変遷

氏名選任日選任時の職業退任日退任時(現在)の職業
清水直子こと関口直子平成27年9月19日活動家現任活動家(役員報酬有)
仲英雄平成29年9月16日管理職(事業所の人事権を有する利益代表者)現任管理職(事業所の人事権を有する利益代表者)
野村泰弘平成28年9月17日会社員平成30年9月8日無職(退職和解)
BことB’平成27年9月19日活動家現任活動家(役員報酬有)
雨宮牧子平成28年9月16日無職令和元年12月頃無職
佐藤智秋平成29年9月16日会社員令和2年9月12日無職(退職和解)
武内惇平成29年9月16日会社員令和2年9月12日会社員
吉田直希平成28年9月17日団体職員令和2年9月12日無職(退職和解)
中山喬介平成29年9月16日会社員令和2年9月12日会社は退職和解
現在は中古車販売業経営
小田川華子平成29年9月16日大学教授令和元年6月頃大学教授
菅井亜理沙平成29年9月16日会社員令和元年9月14日無職(退職和解)
名倉マミ平成29年9月16日無職現任無職
太田美紀(特定社会保険労務士)平成29年9月16日会社員平成31年4月頃無職(退職和解)
野木薫(社会保険労務士)平成29年9月16日社会保険労務士事務所経営現任社会保険労務士事務所経営
土屋トカチこと土屋正紀平成29年9月16日撮影所経営(白浜台映像事務所現任撮影所経営(白浜台映像事務所
道用和男平成29年9月16日結婚相談所経営令和元年9月14日結婚相談所経営
稲葉一良令和元年9月14日会社員現任会社は退職和解
のち活動家(役員報酬有)
吉永瑞能令和元年9月14日会社役員現任会社役員
滝口キャシィこと氏名不詳令和2年9月12日会社員現任無職(退職和解)
過去3年間に選任されたという執行委員は、その大部分が労働者以外の活動家や無職者、あるいは経営者である。労働者の者であっても、武内惇以外の者は在任中に退職和解で失職しており、無職になっている。

プレカリアートユニオンは、ユニオン以外のいかなる職場でも労働をしていないのに三役を独占している「活動家」たちも、ユニオン内部での仕事に従事して給料を得ているから労働者だと主張している。しかし、この論理がまかり通るなら、無職の者だけで労働組合を結成し、組合内部での仕事に従事しさえすれば、誰でも「労働者が主体となった」労働組合を結成できることになり、労組法第2条は空文と化してしまう。

「原子力ムラ」という言葉があるが、プレカリアートユニオンの執行部は、いわば「無職ムラ」である。ごく一握りの活動家(専従)たちが高額の役員報酬、金品を得る一方で、従業員のアルバイトは残業代も貰えずに搾取され、一般組合員や指名された「執行委員」は不自然なまでに続々と退職和解に持ち込まれ、結局は無職になる。

「在職で労働条件を向上」させるという結成当初の理念はどこへやら、会社に対しては管理職の自宅にまで嫌がらせを繰り返して幸せな家庭を破壊し、組合員の労働者は退職和解に持ち込み、数十〜数百万円の解決金と引き換えに失職させてしまう。

執行委員長就任後、ほどなくして役員報酬の支出を始め、平成28年からの2年間で10倍という巨額の”内部留保”を蓄えた清水委員長のトリックは、あろうことか、労働組合なのに加入すると職場を失うことになるというアリ地獄のような退職和解の”ビジネス”だったのだ。

「無職ムラ」を牛耳る王侯と貴族たちが、食うや食わずやの待遇で奴隷(アルバイト)を使役し、周囲の山林や海洋といった天然資源(組合員)を焼き畑農業あるいはトロール漁業のごとく根こそぎ収奪し、私腹を肥やす構図が浮かび上がる。プレカリアートユニオンの団体交渉申入書には「近代的な労使関係の構築」という文言が踊るが、プレカリアートユニオンの体制こそは前近代どころか、中世のそれである。

憲法が怒っている、労働法が泣いている!

清水氏は、街宣活動などに手弁当で参加する組合員のことを、しばしば「リソース」と呼んでいた。

しかし、そもそも労働者ではない活動家たちが、会計を隠蔽、選挙では不正をおこない、反対者は警察力を導入して排除するなどの横暴を重ねながら「リソース」と位置づける労働者から収奪する構造は、「ブラック企業」のそれと一体何が異なるというのだろう。

何より、会社員として、社会の責任ある成員となったことが一度もない者が主導する「労働組合」が、私たちをより善い労働へと導くことが出来るのだろうか?

聖書には、「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉がある。

人は、たとえ経済的には労働の必要性がなくなったとしても、より善く生きるため、その個性を表現し続けるために、労働に従事することであろう。社会心理学者であるエーリッヒ・フロムは、労働について次のように述べている。

……自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲にすることなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道である。 というのは、ひとは自我の自発的な実現において、かれ自身を新しく外界に——人間、自然、自分自身に——結びつけるから。

(中略)
仕事も今ひとつの構成要素である。しかしその仕事とは、孤独を逃れるための強迫的な活動としての仕事ではなく、また自然との関係において、一方では自然の支配であり、一方では人間の手で作り出したものにたいする崇拝や隷属であったりするような仕事でもなく、創造的行為において、人間が自然と一つとなるような、創造としての仕事である……仕事についていえることは、官能的快楽の実現であれ、共同体の政治的生活への参加であれ、すべての自発的な行為についていえる。それは自我の個性を確保すると同時に、自我を人間や自然に結びつける。自由に内在する根本的な分裂——個性の誕生と孤独の苦しみ——は、人間の自発的な行為によって、より高い次元で解決される。

『自由からの逃走』日高六郎訳より引用

組合員の職場という”つながり”——フロムが説くところの、人が、自我の自発的な実現において、人を世界に結びつける機会——を退職和解により売り渡し、その値段を釣り上げるための嫌がらせによって単なる管理職者の家庭までをも崩壊に追い込む「ユニオン」は、果たして、労組法あるいは憲法の保護が及ぶところなのだろうか。

ここで、憲法の前文に立ち返ってみたい。

日本国は、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳われている。

清水氏は、執行委員会などの折に触れて、引越社事件で獲得した1億円の解決金に言及しながら、某管理職を「離婚に追い込んだ」と豪語し、決まり文句のように、「だから、早く解決金を払えば良かったんですよ。」、あるいは「私たちがやっているのは、合法的な嫌がらせなんですよ。」と締めくくり、高笑いをしていた。

雇用関係を含む契約関係は、まさに、私たちにとり「人間相互の関係」であるが、これを支配する「崇高な理想」は「合法的な嫌がらせ」なのだろうか。高額の解決金を獲得する目的で家庭を破壊し、街宣活動を繰り返す団体は、市民を「恐怖と欠乏」に陥れ、「平和のうちに生存する権利」を侵しはしないだろうか。正当に開催されてすらいない総会で選任されたと自称する役員だけが、たったの2年間で倍増する高額の役員報酬とボーナスを獲得しつつ、アルバイトは実質で時給400円で働かされ有給休暇もとれないという労働実態は、「専制と隷従」でなければ一体何と呼ぶべきだろう。

——憲法が怒っている、労働法が泣いている!

あたかも水戸黄門の御印籠のごとく憲法第28条を掲げながら、実態としては職業的な「活動家」や無職者、自営業者などの労働者以外の者が役職を独占し、職場を破壊し、退職和解によって高額な「収益」を上げ、労働相談「市場」の「独占」をめざす——筆者が入手した内部資料を紐解くと、組合活動を”ビジネス”と位置づける活動家・清水氏の本音があらわになっていた。

戦争による物心両面にわたる破壊の惨禍のなかで、平和と善き生を願い立法者たちが書き上げた日本国憲法にとり、プレカリアートユニオンは憲政史上最大の侮辱といって過言ではないはずだ。

プレカリアートユニオンの執行委員会議事録。非現実的な組合員爆発的増加の野望と共に、市民が抱える労働問題を「市場」と位置づける清水直子氏のビジネス志向が見え隠れする。

プレカリアートユニオンは、昨今も、組合員多数から提訴されている事実をひた隠しにしつつ、ツイッターでは「街宣車をパワーアップさせた」「10倍すごいスピーカー」などと喧伝し、相も変わらず強迫的に「力」を追い求めているようだ。幼少から父親が暴力をふるうDV家庭で育った清水氏ならば、「力」以上に現実的なものはないと信じたとしても不思議ではない。

しかし、フロムは、こうも述べている。

わたしは信ずる——われわれを自己破壊から救いうる可能性のある唯一の力は、理性である。理性は、人間の持つ理念の中から非現実性を認識し、虚偽やイデオロギーによって、いくえにも覆われている現実へと浸透する能力を持つ。知識を担うものとしてではなく、「一種のエネルギー」として「その力は作用や効果から見てはじめて十分理解され」、「そのもっとも重要な機能が、(人を世界に)結びつけ、(巧妙に偽装された幻想から)ときはなつ力の中にある」ような理性がこれである。暴力や戦力が、われわれを救いうるとは考えられない。しかし精神的健康と理性なら、それが可能かも知れない。

『疑惑と行動——マルクスとフロイトとわたくし』阪本健二、志貴春彦訳(カッコ部は筆者注)

先日、奇しくも、「紀州のドンファン」と呼ばれた資産家を殺害した罪で、元妻の女性が逮捕された。金力、権力、暴力——「力」に基づく所有、支配、あるいは収奪は、その人を欠乏から救うように見えて、実際は、飽くなき欲望と絶えざる欠乏感という「病」に陥れるのではないか。

日本国憲法を起草した立法者たちは、世界全体の”所有”という幻想に囚われて行動したヒトラーはじめ独裁者たちが、そうした幻想が幻想であったという事実を自覚するためだけに、世界が、日本が——ヒロシマやナガサキが、どれだけ大きな代償を払うことになったかを知っていた。

私たちも、ブラック企業の金銭への無制限な欲望が幻想であり、病であると知る一方で、ブラックユニオンの、退職和解と「合法的な嫌がらせ」による解決金への無制限な欲望も同じく病であり、私たちの経済と社会を、何よりも、かけがえのない個々人の実存——この世に生を享けることの喜び——を破壊するものであると自覚しなければならない。

そして、権威ある立法者たちが試みたように、かかる病を治癒し、幻想に基づく強迫的行動による惨禍を繰り返さないために、最大限の努力をあえてするべき時が来ているのである。少なくとも筆者は、法学徒として、そう信じてやまないものである。

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