「正しかったと思いたい」壊れた人生——プレカリアートユニオン執行委員による誹謗中傷 第1次名誉毀損事件が結審

当研究所がプレカリアートユニオン執行委員を提訴した名誉毀損事件が結審

本日、東京簡易裁判所において、当研究所が原告となり、プレカリアートユニオン執行委員を提訴した名誉毀損事件が結審し、判決言渡期日が令和3年9月24日(金)に指定されました。

「正しかったと思いたい」壊れた人生、認めてくれなかった社会を逆恨みし攻撃

被告プレカリアートユニオン執行委員は、当研究所関係者を含む多数者を見境無く誹謗中傷、攻撃した結果、合計で7件もの名誉毀損訴訟・投稿記事削除仮処分を提起されるに至っています。

プレカリアートユニオンもとい清水直子こと関口直子氏、及び被告執行委員を含むブラックユニオン関係者に共通する問題点は、社会において、その総体的な信任に基づく「力」を得るための主要な機会である受験や就活などの機会に於いてことごとく失敗し、社会において信任を得ることができなかったにもかかわらず、社会の結論を暴力で覆すべく、「合法的な嫌がらせ」(清水直子氏談)と称する違法行為を繰り広げる点にあります。

もとより、社会による選別やその基準は必ずしも公正、絶対なものではないのですから、権力ある立場に立つことができなかったならば、その範囲において最大限、他者の役に立ち、仲間を作り、健やかな生活をすることを目指せば十分であるし、実際に、私たち勤労者の大多数は、そのようにして現実的な生活のなかで胸を張って働き、家族を養い、生きる喜びを見出しているというのが私の見立てです。

私自身、高校では、「センター試験は教育産業の陰謀」などと主張して受験対策の補修を全て欠席したくせに、受かると豪語していた裁判所三種任用試験に不合格となり(当日は意気揚々と裁判所まで見に行って自分の受験番号が無く愕然としました)、学年中の笑い者になったのですが、そのことを見苦しく弁解したり、自らの実力不足を糊塗するために暴れて他人様に迷惑をかけたりしたことはなく、正々堂々と別の道を歩み現在に至っています。

権力が有るなら有る、無いなら無いで、何れにしても等しく生きる事には深い意義があるのです。身の丈に合った活動・生活に飽き足らず、会社の管理職の自宅に嫌がらせを繰り返して億単位の解決金を喝取、清水直子氏自らの「役員報酬」を倍増させるなど、権力ある立場に立つ事、働きもしないで金品をかき集める事を執拗に追求する生き方は、庶民・労働者の目には異様に映るのではないでしょうか。

何も知らない組合員を「リソース」(清水直子氏談)と位置づけ、会社への誹謗中傷、威力業務妨害の活動に従事させ、プレカリアートユニオンもとい清水直子氏自身は冷房の効いた安全な場所で甘い蜜を吸う構図は、ブラック企業のそれと何が違うのでしょうか。

そもそも、生活の現実の中で現在の努力を続けていれば、学歴とか職歴といった他人の決めた物差しに一切関係無く自然と周囲に人の輪が出来、結果として、学歴や職歴だけはきれいで、ふんぞり返って生きてきた者以上の経済的、精神的な豊かさが自ずと与えられるものではないでしょうか。

ところが、ブラックユニオン関係者は、なぜか、信任によって他者から与えられなかったところの「力」を、暴力を背景に造出することで得ようと試み、その執着が誹謗中傷や街宣車、その他の威力業務妨害・名誉毀損行為として結実しています。しかも、その構成員をみると、案の定と申しますか無職者や活動家、金品が目当てと思われる自営業者が「団結」しており、執行部に労働者は一人もおらず、本来の「労働組合」とは程遠い実態が作り上げられているのです。

その選別手段や基準が不完全なものであるにせよ、社会において伝統的に確立している慣習や制度において認められた者が、他者からの信任に基づいて力を持つ社会と、そこで”除斥”されたにもかかわらず、引き続き自分たちこそが正しいと声高に主張する者が、誰の信任にもよらず「合法的な嫌がらせ」の威力を背景に力を持つ社会と、どちらが民主的で、安心して生活できる社会になるでしょうか。答えは自明だと思われます。

本日の被告本人尋問は、被告が正当な理由無く欠席したため、尋問事項に関する原告の主張が全て認められることになりましが、その後の原告代表者本人尋問において、原告代表者は証言台に立ち、裁判体に対し、

夥しい数の嫌がらせによって他人や会社を強引に変えようとしたり、思い通りにさせようとする『力』を、ぜひとも被告(らブラックユニオン関係者)自身の人生を良い方向に変え、何かを生み出す『力』に変えてほしい

と声を大にして訴えました。

人を裁く社会が生み出す「壊れてしまった何か」たち、抜本的解決を

ブラックユニオンによる他害行為は問題ですが、高い偏差値をマークし、良い学校に入り、大きな会社で出世する——といったステレオタイプの「正しさ」を強迫的に押し付ける言説あるいは教育の構造も大問題です。

喩えるならば、原子力発電が、多大な電力を生産することの引き換えに、一定量の処分不可能な「核のゴミ」を生み出すのと同じように、誰もが勝利に与れるわけではない、椅子取りゲーム式の「正しさ」を押し付け、人を選別する社会構造は、結局は「壊れてしまった何か」——「正しくなければならない」という価値観を内面化してしまったが、「正しさ」を勝ち得る事はできず、「正しい」人生であったと思いたいという非現実的な願望を守るため、現実の社会を(広義の)暴力で変形させようとする者たち——を生み出すのではないかと存じています。

もちろん、当研究所のツイッター及びウェブサイトでは、ブラックユニオン関係者に向けて、強迫的に「正しさ」や「力」を追求する生き方をやめ、身の丈にあった共感の世界に「引き返す」よう呼びかけてはおります。

しかし、仮に10年、あるいは20年も「社会正義」を叫び、他人、会社、あるいは政権を誹謗中傷し、自分は変わらないのに社会だけを変えようとする事を続け、今やそうした活動の関係者しか周囲に居なくなってしまっているとしたら、如何でしょう。ブラックユニオン活動家には、「引き返すには遅すぎた」者も相当多数居るのではないかと思料する所以です。

本件を含むブラックユニオン・プレカリアートユニオン関係の裁判においては、司法権の力を借りてブラックユニオン関係者を社会から「引き剥がす」努力を怠ることはできませんが、同時に、他人に「正しさ」を押し付けて、他人を選別する事それ自体をやめることが、私たちに精神的自由と健やかな社会生活をもたらすものと信じてやみません。

社会正義、あるいは労働運動というベールをまとった誹謗中傷、威力業務妨害の他責的な「力」は、自己変革と自己実現の原動力に転化されるべきではないでしょうか。

当研究所は、総力を挙げて、ブラックユニオンの産業社会に対する攻撃から労使を防衛するとともに、ブラックユニオンを生み出したところの、人が人を裁く社会そのものを変革するため、活動に邁進して参ります。今後とも皆さまのご助力、ご声援をお願い申し上げます。

本稿では、被告プレカリアートユニオン執行委員が平成29年9月17日のプレカリアートユニオン総会で執行委員に選任されており、その後、平成30年以降の総会は適法に開催されていないこと、被告執行委員が、現在もプレカリアートユニオンの執行委員長を名乗る清水直子こと関口直子氏らと協力し、当研究所の個人情報、機密情報を不正に収集等していることを踏まえ、被告の肩書を「プレカリアートユニオン執行委員」としています。

傍聴のご案内

事件番号       令和元年(ハ)第14271号
係属部        東京簡易裁判所民事第4室
次回期日(判決言渡) 令和3年9月24日(金) 11時30分〜 第301号法廷


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