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断絶のための処方箋

この断絶をどこから埋めていくのかといえば、それは、憲法と労組法によって強力に保護された労働組合による団体交渉と団体行動による以外にない。他の方法をとるならば、いきおい、民法、刑法の関係で権力におもねったものとならざるを得なくなるので、対等な立場での交渉を実現することはできない。

無論警察や検察も、国民の弾圧を趣味や快楽としているわけではなく、むしろ正義感に基づいて正当に職務している者の方が多いであろう事を一応指摘しておく。しかし、武器を所有・行使する執行機関という位置づけ上、そこには軍隊的統制が導入される以外になく、軍隊的統制においては、改めて指摘するまでもなく、「上官命令」の名のもとに、あらゆる非人道的行為が正当化されるのである。ナチスに従って数々の虐殺を働いた者どもが、法廷に引きずり出されて供述した言葉に耳を傾ければ誰でも、その構造が理解できるはずだ。

したがって、労働組合の団結と団体交渉こそが、資本主義の人間化のための唯一的手段としての第一歩であって、その先には、封建的社会の悪夢ではなく、人間的な対話によって自治された労働と生産、交換の民主的社会が待ち受けているのである。個別的労働問題の解決も重要であるが、資本主義社会における非対話性を根本的に解決しない限りは、雨後の筍の如く続々とブラック企業やブラック経営者が誕生し、誰も望まない「経済成長」を目的とした収奪と紛争が繰り返される。その実、日本は、その「経済成長」にさえ大失敗し、実質所得でいえば、30年間もかけて5分も貧しくなったのである。他方、米英は、同じ期間で4割も5割も豊かになっている。

プレカリアートユニオン問題の反社会性

COJ思想と人間のモノ化

してみれば、現下のプレカリアートユニオンにおける、COJ(コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン)思想に裏打ちされた目的絶対主義の体制は、異常であるといわざるを得ない。均等待遇と組合民主化を求めて決起した我々アルバイトが報復で解雇されるのはまだいい。

しかし、この個別的解雇の背景に潜む真の問題は、組合員やアルバイト、すなわち、清水直子委員長と一部の職制・側近以外のすべてを「リソース」とみなし、あらゆる手段で搾取した上でポイ捨てする対象として位置づけ、清水直子ら一部が独断的に、民主的な選挙もせず、組合員の総意となんら関係なく決定した「長期的ゴール」(COJ用語、要は目標のこと)を達成するための物的資源として組合員を見ていることである。

この異形の思想、或いはプレカリアートユニオンにおけるその結実は、労働者、ひいては社会の連帯と団結、協業を否定するものでしかないのだ。

飽くなき金銭への固執

すなわち、プレカリアートユニオンでは、駆け込んできた労働者の抱える労働問題を(なぜか)「案件」と呼び、「事件」とは呼ばない。筆者も職員として、ひそかに「事件」としてラベルシールを作ったり、メールや会議では独り「事件」と呼んでみたりと抵抗を試みたが、あまり普及しなかった。一時期、今や恥ずべき職制者となってしまった佐藤智秋君が、私の前でだけ「事件」と呼んでくれたこともあったが、ああまで堕落してしまった今となっては、昔話だ。

ようは、「案件」という呼称に、だれも違和感を抱かないのである。筆者は金融マンの父親を持ち、小泉断固支持のネオリベ的な家庭で育った(そして、リーマンで見事会社ごと切り捨てられた)のであるが、それでも、その労働者・組合員にとっては人生で一二を争う、しかも尊厳もかかった緊急問題である労働争議を、「案件」と呼ぶことはできなかった。案件という言葉は、不動産投資や太陽光発電、金融商品の商談といった場所で使う言葉である。裁判所も労働委員会も、等しく労働問題は「事件」と呼んでいる。

パワハラで去ってしまった野村さんに対しても、彼が30万円の月給を希望したとき、筆者の目の前で、「それを稼ぐには、どうすればいいと思いますか?」と詰問していた。それは、まぎれもなく、「案件」であったのである。

そして、「案件」を「成約」させるためならば、現体制、すなわち清水直子氏の独裁翼賛体制は、手段を選ばない。筆者も体験したことだが、組合が斡旋して依頼させた弁護士を、当該者抜きのグループを作る方法で裏で操り、当該者以外のコンセンサスをとったうえで全員で説得し、争点に対する法的見解など、本来的な意味で納得するために必要な説明は何もしないまま、高額な和解金が獲得できる金銭和解に引きずりこむ。

筆者も、かつての勤務先に、(組合の著名な顧問弁護士が「勝てる」というのだから)仮処分で勝訴して生活を保全しつつ、復職を求めて徹底的に争いたかった。そうすることが、労働者全体の正義にも適ったはずだ。しかし現実には、仮処分の話はなかったことにされ、本訴で争うから訴状を書くというので弁護士費用を支払ったのに、現実にはその訴状すら2ヶ月もの間書かれることはなく、焦ったところで会社から街宣禁止で訴えられ、和解のテーブルに着かざるを得なくなった。

その和解も、外形的な条件こそ良好であったものの、それ以外の側面では、徹底的に筆者を侮辱する——すなわち、正当な理由なくかつての同僚にコンタクトをとってはならないとか、会社や関係場所を訪問してはならないとか、いっさい経緯を口外してはならないとか——内容だったのである。こんな屈辱を受けるぐらいなら、最高裁まで争った方がよほど人間らしい。そう思ったが、清水直子氏は、単に和解協議中というだけでなにも引き出せていないのに、ブログを消せとか街宣に行くなとか命じて交渉を日に日に不利にさせ、私はそれを受けざるを得なかったからである。つまり、交渉が毎日不利になっていく中、清水直子氏が弁護士をウラで操り、私に判決を受けさせる気がない以上、早く和解しなければそのたびに条件が不利になるからである。

上記は和解条項の制約の中、最大限具体的に書いたつもりだが、プレカリアートユニオンでは、それ以上の、当該者が知らない深刻且つ悪質な金銭和解の押しつけが、今も度々起こっている。本人のプライバシーの問題もありここでは詳論しないが、それは、労働者の名誉感情を何ら充足するものではないし、労働運動の歴史において正当に説明できるものでもない。

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2 COMMENTS

匿名

プレカリアートユニオンは代議員から委任状を取り、また、代議員でないと議決に参加できないと組合員に錯覚させているようであるが、代議員は役員選挙のためだけのものだ。
総会の議決は委任所を含む参加者によって行われるものであるので「議決を前田史門氏(名倉マミ氏)に委任する」という組合員の委任状を取り、その数が清水さんチームのより多ければ前田さんチームの勝ちとなるのではないか?
少なくとも、組合員の委任状を持参した人間を議場に入場させないということはできないと思うが?
この理屈はどうなんやろか?
ちなみに「その場の議決に従う」という文言の委任状は清水さんチームの数に入らん。

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匿名

昨日のPUの定期大会に来ていたミヤノハナさん?太ったオバサンの人だが、なのはなユニオンの鴨桃代さん?
鴨さんは静岡出身らしい。

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