「嘘つき人事」という、薄汚れた何かについて。


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多くの人を傷つけ、自ら採用に関わった同僚・部下がパワーハラスメントにより休退職に追い込まれるのを平気で見過ごし、時にはウソも平気でついて、他者の人生を破壊することで多額の利益を得る一方、インターネットでは美談だけを語る・・・

このような『嘘つき人事』を、私たちの社会は、これ以上野放しにして良いのでしょうか。

インターネットを悪用し、自ら責任を持つつもりがないウソの言葉によって他者をコントロールしつつ、都合が少し悪くなるとブラック企業に取り入って利益を得ようとする「ブラック人事」を、私は厳しく糾弾します。

本当のプロフェッショナルの人事とは、当初はクライアントであった採用候補者に対し、クライアントではなくなった採用後においても、プロとして、自身や自社にかかわってくれたことに対する責任を果たすべく、採用者を弁護するべき立場になるのではないでしょうか。

ところが、採用するまでは良いことだけを言い、採用後は自らが稼ぐことだけを考え、自社に勧誘したことの責任は取らず、一切誠実な説明をしない、まるでブラックホールのような、他者の人生や労働能力に寄生する背信的悪意者、これが「ブラック人事」であると思います。

そして、このような「ブラック人事」が、存在しようとしても存在することが出来なくなるような事実状態の構築こそが、これからの産業社会に課せられた使命であると考えます。

何でも裁判、何でも警察、何でも法律という人もいますが、この考えに私は懐疑的です。以前も言及しましたが、他人の恨みを買って硫酸を投げつけられた時に、硫酸の差止仮処分を提起したら硫酸が止まるのでしょうか?硫酸禁止の訴訟で勝訴したら火傷が治るのでしょうか?

そうではないことは自明のことです。

であるからこそ、裁判や警察や法律に関係なく、もう事実としてウソをついた以上はどこにも存在する余地がない、なぜならば、嘘つきには誰も関わりたくないから——こうした事実状態こそが、いかなる裁判や警察よりも強力に、心ある人々を護るのではないかと思います。

裁判や法律によっては、現在の感情にせよ、過去の事実にせよ、人間の現実を変更することはできないのです。

手続法によって作出された判決という論理の世界には、権利関係、ひいては貨幣という論理の世界を変更する力はあれど、それを所有し、運用する人々そのものを変更することは出来ないのだと思います。

それは、法律とはそもそも、人々や、人々の法感情に依拠して作出された論理にすぎないという限界性を内包しているからではないかと思います。

それらのことを考え、法理論の実践を考えるよりも、法律とはそもそも関係がない事実状態の構築こそが有益であると思うようになりました。

ノースサンドに関係がない一般論の記事となり恐縮です。

何卒、宜敷くお願い申し上げます。

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