希望の職場創る労働運動を!(プレカリアートユニオン・清水直子/太田曉彦事件に寄せて)

労働組合を標榜しながら、裏では労働者を”蟻地獄”ことアリさんマークの引越社に高値で売り渡し、反対派組合員は警察権力を呼び込み排除。独占資本と国家権力。本来、労働組合が対決すべき相手と結託し、トランプさながらの”ディール”に及んでいたプレカリアートユニオン。

解雇撤回を求め闘っていた我ら非正規書記2名も、収集、提供された証拠を前に、ひたすら唖然とするばかりだった。なぜって、プレカリアートユニオンは、我々の職場だったのだから。

時を同じくして、かつてプレカリアートユニオンに加入し、搾取され、ユニオン運動そのものに絶望して去っていった労働者たちから、告発のメールが届き始めた。ここにきて、我々が個別的労使紛争としてではなく、社会運動としての闘争を決意するのに、時間はかからなかった。

しかし、その後のプレカリアートユニオン職制、役員の醜態は、筆舌に尽くしがたいものがある。我々を根拠なく誹謗中傷するビラを方々に500枚もバラ撒いた。

それに飽きたらず、今度は引越社の真似事をはじめ、ユニオン運動センターの出入り口に『罪状ペーパー』を張り出した。労組だろうと会社だろうと、使用者の考えることはみな同じなのだ。絶望をもって再確認した。

そして今日も、代理人として雇った労働弁護団の嶋﨑量、中村優介ともども、毎日ツイッターで”インターネットマーケティング”に及び、甘言でもって労働者をおびき寄せ、アリジゴクに引き入れんとして、手ぐすねを引いている。

他方で、プレカリアートユニオンの貧困ビジネスを遠巻きに見守る労働者、市民の目は冷ややかである。

実際、プレカリアートユニオンの郵便受けには、毎日のように脱退届がなだれ込んでいる。清水直子、中野千暁こと太田暁彦を獄門入りから救うためだけの裁判闘争に組合費が限りなく投入され、争議はおざなりの目を覆う状況に、組合員はみな嫌気がさしているのだ。三ヶ月もまってやったが、まだ解決しない。しかも、DMUのブログには、具体的かつ決定的な証拠が次々とアップロードされる。

見限られない方がおかしい。

そんなプレカリアートユニオンを、あらゆる労働組合、そして使用者が、指をさし、声を抑えながら、毎日笑いものにしている。

それでも、今までと全く変わらない非弁活動、貧困ビジネスを続けようとする、また、それが可能だと信じ込んでいるプレカリアートユニオン・清水直子ら職制に決定的に欠けているもの。それは、”希望”なのではないかと考えた。

個別に検討してみよう。

清水直子(こと個人事業主・関口直子)氏は、昭和48(1973)年の生まれであるが、中央大学経済学部を卒業後、就職氷河期に直面した。本人の話によれば、新聞の五大紙を全部志願したが、ことごとく不採用になったという。その後、週刊金曜日の外注ライターをしながら非正規雇用で食いつなぎ、その中でであったのがフリーター全般労組であった。その後、夫である関口達矢氏が専従職員をしている東京ユニオンから勧誘されて分派活動を起こし、東京管理職ユニオンの庇護下で立ち上げたのがプレカリアートユニオンだという。

「書記長」を名乗りながら組合員から搾取し、毎日のように不労所得を得ている中野千暁こと太田曉彦氏は、実は京都大学・総合人間学部卒のエリートであるが、その後職に恵まれず、家族とももめながら、諸方を転々としたのだという。

「白木屋アクション」で飲酒をカネに換える錬金術師の佐藤智秋氏に至っては、東洋大学在学中にやっていたアルバイトを「就活が面倒くさいので」そのまま続け、しかし、ブラックな職場に嫌気が差してプレカリアートユニオンに駆け込み、その後は組合活動を手伝いながら社会学のサークルなどを立ち上げ、時々、派遣会社に登録してクレジットカードの勧誘の仕事などをしながら、ぶらぶらしていたという。

このように見てみると、曲がりなりにも労組の専従者として労働問題の”解決”にあたっているはずのプレカリアートユニオンの職制者に限って、ふつうではあり得ないほど労働経験がないことに気づく。

さらに、彼我の決定的な差異が浮かび上がる。彼らは要するに、自らが労働の現場から排除されたり、歓迎されなかったりした経験を契機として、労働そのものを嫌悪し、絶望し、我先にと労働から抜け出そうと考えているのだ。

そこで彼らは、その手段として労働運動や組合員を利用すること、もとい搾取することを選択してしまった。それが、資本の自己増殖という資本家の妄想とまったく同じ観念であるという真実から、全国ユニオンの仲間と”団結”して力を合わせ、毎日毎日、見なかったこと、知らなかったことにしようと労苦している。

他方で、我々(少なくとも代表・前田)は、労働をいっさい嫌悪してなどいない。この文章も、一日の労働の終わりに、西武池袋線の電車の中で、満員の準急列車で押し合い、へし合いしながら片手で書いている。東京管理職ユニオンでは都内のあらゆる移動にタクシーを使うというが、我々のような非正規労働者は、タクシーとは一切無縁である。

それでも、労働に希望を持ち、他者の労働を尊敬し、労働をより良いものに、社会的なつながりを獲得していくためのものにするために、空いた時間のすべてを労働運動に投じている。

ある意味で、私は労働を信じ、希望を持っているのだと思う。今までに解雇されたことは3回ある。最初の解雇経験は相当にひどいもので、ある弁当屋で、店を事実上仕切っているパートのおばさんが、床に落としたエビフライをそのまま客に出したので、あまりのことに注意し、店長に報告したところ、翌朝背広姿のエリアマネージャーがやってきて即時解雇を言い渡された。

真面目に働いていても職場を追われることがあるのだとひたすら驚いた。あの日も夏だった。帰路自転車をこぎながら、半ば立ちくらみをする思いだった。

今日この頃は、労働者の味方であるはずの労働組合で働いていたところ、懲戒解雇を決定したひとりである社会保険労務士である太田美紀氏によれば「コストパフォーマンス」を理由として職場を追われたのである。

その後分かったことであるが、このような書記に対する懲戒解雇の手口は、全国ユニオンでは常套手段であるようだ(下記の「週刊新潮」参照。セクハラを告発した木村美保子氏に対して、東京ユニオンは「分派活動」を理由とする権利停止処分をもって臨んだ)。

自分で総括するのもなんであるが、労働に絶望する理由としては、それなりに十分なものがあると思う。しかし、私は、労働の現場を離れるつもりはない。

消費社会では、よほど禁欲的に生きるのでなければ、誰かがそれに従事して、十分な量の消費財や耐久財を生産しなければならない。

資本家や新自由主義者、その盟友であるプレカリアートユニオンの考えは、そのような生産活動=労働はすべて苦痛であるから、他人の労働事件に介入し、弁護士とも提携して味方を装って近づき、使用者・労働者の両手から濡れ手に粟で金を取ることで自分たちはラクをして、最終的には一切働かずに好きなこと、例えばアメリカ見学や宴会合宿、剣道に相撲といった趣味に明け暮れて生きようということだ。経団連の面々がよくゴルフとかヨーロッパ見学に行くのと、何が違うというのか!

まっとうな労働運動家になると、仲間からは一切搾取せず、むしろ私財を運動に投じながら運動をやる。金銭はどこから調達するか。もちろん、資本家や権力である。時には実力行使をもって、ストライキでもって、徹底的に勝ちとる。

私も、基本的には同様のスタンスだが、もう少し進んで、労働運動、すなわち団体交渉と団体行動を通じて、努力が報われ、正義が実現される当然の職場を実現することで奪い合いの対象となる財貨を増加させてから、納得も得心もして明け渡してもらいたいと考えている。

もっとも、そのような労働者として最大限穏便な”提案”を理解してもらえないのであれば、従来通りの方法で「勝ちとる」までである。

このようにして、労働運動を通じて新たな労働のあり方を考案し、仲間と共に実現してゆく過程は、それだけで十分すぎるほどに創造的な表現行為である。

私が、私自身の職場を含むあらゆる場所でそれを実現することや、使用者による搾取や不当解雇・懲罰の体験を含む就労経験を通じて考察の材料とすることは、いってみれば垂涎ものの最高の人生体験である。それゆえ、私は、謙虚さ故ではなく、むしろ貪欲さゆえに、労働の現場に立ち、汗をかきながら考える機会を手放さないのだ。

プレカリアートユニオンの職制や、デイズジャパンなるジャーナリズム企業からやってきて当組合に秘密録音を繰り出し、それをカネに換え、現在に至るまで我々の組合活動に対して、犯罪的な不当労働行為のカメラワークを続けている魔のカメラマン・根本美樹とことなり、私にとって、生きることは”人生ゲーム”(“億万長者”として豪邸に住まうことをゴールとする双六。ゆとり世代には人気であった。)ではない。

金など、いくらあっても、あの世には持ち運べないじゃないか。

そんな幻想に囚われて人生を棒に振るぐらいなら、労働を通して社会について考え、信頼できる友人を作り、休日は同志と杯を交わしながら、理想を語らう方がいい。金銭を引き換えに購入するどんな商品よりも、そのような自己の意思に基づく生き方自体が、創造的な表現物であるからだ。

他人の表現物に依拠、依存し、その場限りの気晴らしを次々と購入し、買っては捨て、買っては捨ての人生など、私に言わせれば、貧困の最たるものである。

現に、今までに買ったものに満足できないから、明日もまた買い続けるのではないか。何も買えない状態よりもひどい貧困のド真ん中に陥っていることに、プレカリアートユニオンと、それに群がる商業者の弁護士・映画監督・その他”サプライチェーン”を構成する大勢だけが気がついていない。

どうせ生産活動が必要なのであれば。ゴミ収集や原発や死体の片付け、性風俗業といった人がやりたがらないものも含めて、総体的に必要なのであれば。

それを不当に回避し、他人に押しつけてカネを確保し、買物に明け暮れるのではなく、分け入って行って自ら参加しようじゃないか。そこで仲間を作り、体験を分かち合い、感じ、考えながらやっていこうじゃないか。せっかく先人が労働組合の権利を勝ちとってくれたのだから、使用者に対しては団結して正義を訴え、道理に適った当然の職場を建設しようじゃないか。

いずれ誰かがやらねばならないなら、我々が引き受け、最善のものを創り出そうじゃないか!

私にとっては、それが労働であり、労働運動である。それは、不労所得の実現や資本の自己増殖といったマネーゲームとは、何も関係がない。

労働弁護団とか労働組合とか社会派○○とか名乗りながら、現実には非弁活動・非弁提携、そして貧困ビジネスをやっている人間には、よくよく考えてもらいたい。

その“ビジネスモデル”が、いつまで続くのかと。本当に、バレないと思っているのかと。それが、果たして、生きがいのある人生なのかと。

そして、全国のまともな労働者よ。労働組合よ。

そろそろ、いや、いい加減に、共に蹶起しようではないか。

今この場での、この限りでの”運動”を維持できたとしても、労働運動と偽りながら労働者を食い物にする連中を放置し続ける限り、いつまでたっても安部政権は打倒できないし、組織率も向上しない。社民党の得票率だって回復しないだろう。

労働者はバカじゃないからだ。大衆への軽蔑を前提とする”運動”が、大衆を組織することはない。

 

 

 

 

 

彼を見ていた目はもう彼を見ることなく
彼のいた所も二度と彼を見ない。
その子らは貧しい人々に償いをし
子孫は奪った富を返済しなければならない。
若さがその骨に溢れていたが
それも彼と共に塵の上に伏すことになろう。
悪が口に甘いからと
舌で押さえて隠しておき
惜しんで吐き出さず
口の中に含んでいれば
そのパンは胃の中に入って
コブラの毒と変わる。
呑みこんだ富は吐き出さなければならない。
神は彼の腹からそれを取り上げられる。
彼の飲んだのはコブラの毒。
蝮の舌が彼を殺す。
彼は蜂蜜と乳脂の流れる川の
その流れを見ることはない。
労して得たものをも呑みこまずに返し
商いで富を得ても楽しむことはない。
なぜなら、貧しい人々を虐げ見捨て
自ら建てもしない家を奪い取ったから。
その腹は満足することを知らず
欲望から逃れられず
喰い尽くして、何も残さない。
それ故、彼の繁栄は長くは続かず
豊かさの極みにあって欠乏に陥り
全て労苦する手が彼を襲う。

 

(旧約聖書「ヨブ記」20:9-22)

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3 COMMENTS

CAO

 週刊新潮に掲載された事件より少し前にも、東京ユニオンによる、当時在籍していた事務職員への退職強要と、その事務員を支援する組合員への不当処分、ならびにその組合員による不当処分取消訴訟があったのはご存知ですか。

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CAO

 高井がその職員をやめさせようとしたきっかけは、その職員が、ある事件の解決金を本部が半分以上?(比率は今は忘れました)取ったことについて質問したこと、関根の交際費に不明な点があることを指摘したことだったと思います。それを高井が根にもった訳です。次はその職員から相談を受けた組合員が高井の嫌がらせの標的になり、規則にもとづかない「会議への出席禁止」「厳重注意」などを乱発、逆にその組合員から訴訟を起こされました。

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