プレカリアートユニオン操縦者・中野千暁こと太田曉彦と旧日本陸軍の”レジェンド”冨永恭次中将

プレカリアートユニオンの破産と実質的支配者・太田曉彦

「労働運動」を標榜しながら労働者を追い詰め、職場を破壊し、経営陣=”執行部”の不労所得を追求してきたプレカリアートユニオンの破産が、ついに見えてきた。

プレカリアートユニオンといえば清水直子委員長だと思っている向きも多いが、実際に清水直子をコントロールし、プレカリアートユニオンを操縦してきたのは、中野千暁こと太田曉彦(アキヒコ)氏である。

京都大学卒の高い知能を誇るアキヒコ氏は、清水直子氏の学歴主義や、「答え」(らしきもの)を求める多くの執行委員の不安につけ込んで、アキヒコ氏にとって都合の良い結論や方針をその都度提示し、長い時間をかけて、不労所得のための足場を築いてきた。

例えば、3月17日の臨時執行委員会では、被解雇者が「発達障害者である」と、医師でもないのに”診断”し、DMUが指摘したアキヒコ氏に都合の悪い事実、組合私物化、ヤミ休暇問題などの一切を、すべて被解雇者の「障害の症状」に責任転嫁することに成功した。

そもそも、アキヒコ氏がDMUを敵視するようになったのは、DMUが、アキヒコ氏が2年間に亘る工作活動で築き上げてきた専従者の特権=アルバイトとの格差に疑義を呈したからである。

アキヒコ氏は、残業代の計算や法律構成の検討といった実質的な交渉作業は、ほぼ全部、組合員やアルバイトに丸投げしておきながら、専従者として団交の「担当者」を名乗り、対外的には「中野(アキヒコ)さんが解決した」「中野(アキヒコ)さんのお陰だ」と思わせることに成功してきた。

旧陸軍・冨永恭次中将とアキヒコ

そんなアキヒコ氏にそっくりの歴史上の人物がいる。旧日本軍の冨永恭次・陸軍中将である。

冨永中将といえば、死地に赴く特攻兵を前に、一升瓶を片手に、迎え酒状態で「諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」と訓令して特攻を命令しながら、自身はマニラから台湾へと将兵を置き去りにして単身退却し、戦後も一切の責任を取らず生き延びたことで知られる人物だ。

その卑劣さ、特に現場を部下に押しつける方針は、まさにアキヒコ氏そのものだ。

「担当者」であるはずのアキヒコ氏が、争議解決のために働いたことはほとんどない。暑い日も寒い日も、街宣やビラ配りは組合員とアルバイトに押しつけ、アキヒコ氏は「大本営」よろしく、初台の、空調の効いたビルに鎮座していた。

DMUに対する組合潰しでも、盗聴機器を仕掛けるという”汚れ仕事”は傭兵よろしく調達した労務顧問に押しつけ、わずかばかりの手当で違法行為の責任を転嫁した。盗聴任務がバレた労務顧問は、文字通り、「一度の違法行為で人生が変わって」しまった。

体力も十分、元気そのものなのに、味方作りのために「心身の消耗」を印象づける点も、まったく冨永式を踏襲している。

もっとも、冨永中将は、戦局の最中に辞任は許されないとして、どんなに演技を尽くしても、銃後に勇退することはできなかった。

しかし、アキヒコ氏は、実際には体力壮健、働き盛りの男性なのに、自らの逃げ道、言い訳を確保するためだけに、虚弱と******・*******を装い、あたかも、アキヒコ氏を批判すること自体が「いじめ」「暴力」であるかのような印象操作を図ってきた。

このやり方で、アキヒコ氏が、準備不足の団体交渉と事務処理の懈怠で敗北を招きつつあった、A販売事件の当該者・N君からの責任追及も回避した。

その際、アキヒコ氏が巧妙に準備していた「弱者」としての仮面が、抜群に効果を発揮した。アキヒコ氏の適格性は不問となり、むしろ、それを追及したN君の「態度」が悪いといったことが問題にすり替えられた。

東條英機の腹心であるが故に軍法会議を遁れた冨永中将と、ここでも瓜二つである。

アキヒコ第139師団の枯れススキ

しかし、DMUとの争議によって、アキヒコ氏が仕掛けた数々の陰謀、例えば、そのN君の脱退届を握りつぶし、拠出金取立裁判を起こすことを”ブラック労弁”と謀議したとか……が次々と発覚し、DMUには、続々とプレカリアートユニオン”難民”が流入している。

時給換算すれば5000円にもなるアキヒコ氏の代わりに無賃労働を請け負う「リソース」は一人もいなくなり、アキヒコ氏自身も、2年ぶりに街宣の現場に出動する事態になっている。

ここでも、予備役に編入されて敵弾を遁れたと思いきや、員数分の歩兵銃にすら事欠くボロボロの根こそぎ動員部隊「第139師団」の師団長として満洲に飛ばされた冨永中将の末路と重なる。

 

寒い冬が来る。

労働組合の団結を破壊し、組合員をモノ扱いした責任をどう取っていくか。

冨永中将は、ソ連で10年間抑留されるという形で責任を取り、復員後、5年で天寿を全うした。しかし、アキヒコの人生は、まだ40年は続くだろう。

物言えば、唇寒し、秋の風。太田アキヒコは、不労所得のためだけに手を染めた障害者虐待、差別発言の責任を、実に冨永中将の4倍もの時間をかけて、しっかりと果たしていかなければならない。

冨永中将の半生を見るにつけて浮かぶのは、罰から逃げ回り、卑劣の限りを尽くした果てに10年間の抑留に遭うよりは、素直に軍法会議にかけられて、不名誉除隊にでも禁固にでもなっていた方が良かったのではないか……というシンプルな疑問だ。

アキヒコ氏と冨永中将は、正しく裁かれることから遁れたが故に、かえって苦しい道を歩むことになるという点でも、瓜二つなのかも知れない。

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