プレカリアートユニオンとコミュニティー・オーガナイジング・ジャパン

プレカリアートユニオンが仲間を「リソース」と呼ぶ理由

プレカリアートユニオンの事務所では、「リソース」という言葉が、毎日のように飛び交っていた。「資源」の直訳として知られるこの言葉だが、プレカリアートユニオンが「リソース」という言葉で指し示していたのは、他ならぬ組合員のことであった。

後ろめたさがあったのだろう。組合員のことを「リソース」と明言していたのは、組合の実務を担う事務所の内部と、執行委員会やそのワークショップ、そして、清水直子氏が入れ込んでいるセミナー「コミュニティー・オーガナイジング・ジャパン」関係の会合だけであった。

コミュニティー・オーガナイジング・ジャパン

コミュニティー・オーガナイジング・ジャパンのセミナーやその関連産業に、プレカリアートユニオンは、毎年100万円近い資金を支出している。その名目は多岐に渡るが、私にとってもっともなじみが深かったのは、1回あたり15万円の参加費を取る、12日のワークショップである。

平成30年夏、このワークショップに、私も、業務命令で参加させられた。ワークショップは、市ヶ谷駅にほど近いガラス張りのビルの6階で開催された。弱い立場にある市民が協力するための、という割には、とにかくいい場所を貸し切っているなと感心した。後に聞いた話だが、その会場は、聞いたことがない名前のコンサルティング会社の敷地であり、その会社に無償受講権を割り当てる対価として、コミュニティー・オーガナイジング・ジャパンとしては無償で使わせてもらっているのだという。

ワークショップの内容は簡単なもので、アメリカ直伝だという分厚いテキストを手渡されてから、ガンツ博士なる人物が編み出したというコミュニケーション手法にのっとった話し方や、誘い方、議論の仕方をそれぞれ練習させられ、2日目には、架空の団体を立ち上げる構想について話し合って発表するなどした。

ガンツ博士直伝というセミナーの内容については、ここでは、あえて触れない。街宣活動の参考になった部分もあるとだけ述べておくことにしたい。

豪華絢爛の市民団体

ワークショップの形式の面で特に気になったのが、前述のガラス張りのビルの一件含め、全体として、徹底的にブルジョア的な雰囲気だったということである。講師陣は、「ロジ」(Logisticsの略だろうか?)と称するスタッフを含め、全員が真新しいオレンジ色のプリントTシャツに身を包んで現れ、渋谷系、意識の高い系といった雰囲気だった。同じ市民団体でも、共産党系の(良くも悪くも)清貧な、落ち着いたイメージとは大違いである。

他方で、参加者に対する福利厚生は、会場の設備以外を除けば、いかにもチープであった。ごく一般的な仕出し弁当と、カントリーマアムほかお茶菓子。いかにも経費削減型の会社のセミナーといった雰囲気だ。参加費は5万円もするのに、懇親会費も別途徴収だった。

私は、父親が金融資本の仕事をしているためか、とっさに考えてしまった。このセミナーが全国で毎週末開催されていれば、年に48回、参加者も、今回と同じ50人ぐらいであれば、1回あたりの売上高は250万円。年間で1億2000万円にはなる。セミナーの最後に案内されていたが、団体向けのコンサルティングサービス・伴走支援の料金は12万円だから、クライアントが30名もいれば360万円の固定売上になる(プレカリアートユニオンも、もちろん、そのクライアントのひとりである)。その他広報物・グッズの売上を含めれば、年商12400万円ぐらいのビジネスにはなるんじゃないか?実際に、コミュニティー・オーガナイジング・ジャパンのホームページを閲覧したところ、全国で毎週のように、同様のセミナーが開催されていた。

ネックになるのは場所代と人件費だが、会場は、ここでは、物々交換的なスキームで無償で調達している。地方なら、雑費の範囲内だろう。問題は人件費だけだと思ったが、後で聞くと、ロジと称するスタッフは、みな無償なのだという!!

ロジスティクスの名にふさわしく、机や椅子を上を下へと大忙しなのだが、無賃労働なのだ。すると、日当が出ているとしたら、マイクを握り、プレゼンテーションをしていた正規職の講師だけであるはずだ。覚えている限りで4名ほどいたと思う(その中に、当時プレカリアートユニオンの専従職制をしていた、某大学客員教授のO氏も含まれている)が、仮に、12400万円から若干の雑費を引いた12000万円を、役員報酬とか講演料とかで、この4名と、非番か内勤として存在するかもしれない、あと1、2名の正規職だけで山分けできるとしたら、まるでパラダイスのような待遇である(正規職1名あたり、単純平均で2000万円は分配できる)。実際に、O氏も、コミュニティー・オーガナイジング・ジャパンの理事をやっていた時期があるが、役員報酬のためかも知れない。

プレカリアートユニオンにおけるセミナーの成果

さて、そんな豪華絢爛なセミナーと伴走支援の結果、プレカリアートユニオンは、はっきり言って金だけ取られ、右肩下がりである。清水氏がこのセミナーにハマり始めたのは平成28年頃というが、プレカリアートユニオンの組合員数が頂点に達したのはその直後の平成29年上半期で、348名が最高峰であった。ところが、大勝利に終わったはずの引越社支部も消滅し、平成309月の大会で300名、令和元年9月大会で254名である。その後も、脱退の情報が相次いで入ってくるし、京浜急行バス、ソーダストリームと、DMUの門を叩く仲間も後を絶たない。今ごろは、大本営発表で240名、実数では200名といったところだろう。

要するに、コミュニティー・オーガナイジングを学んだ結果としてコミュニティーが崩壊しているのであるが、客員教授O氏はしれっと執行委員を辞任して(ご丁寧に、DMUにまで辞任届けを送ってきた)、責任を取らずに去って行った。ちなみに、拠出金を目当てに、組合員の脱退届を握りつぶすなどの工作をおこなった中野千暁こと太田曉彦氏も、じつは、コミュニティー・オーガナイジング・ジャパンのOBだという。

私は、現場の一職員として、O氏の仕事ぶりも、太田曉彦氏の仕事ぶりも見てきた。しかし、両者とも、お世辞にも有能だとは思えなかった。前者は、私の倍ぐらいの給料を週4勤務でもらいながら、組合員の前で「36協定って何??」「普通解雇の理由は後から追加できない」と無知をひけらかした。

後者は、週に2日の出勤、しかも始業時刻は14時と、労働貴族そのもので、朝から晩まで焼き芋やグミ、柿ピーをボリボリとむさぼり食っていた。しかも、気がつくと、海外製のカラフルなグミを色分けする作業に没頭していた。その度に、私自身が幼稚園の頃、トミカをメーカーごとに並べて喜んでいたのを想起させられた。それでいてボーナスは2ヶ月分、太田氏ら職制がやれば労働のはずの街宣やビラ配りは、みな私たちアルバイトや組合員に押しつけて、本当にいいご身分だったと思う。

私が思うに、プレカリアートユニオンは、固定売上をもたらしてくれるクライアントであるだけでなく、体の良い天下り先として使われていたのではないか。コミュニティー・オーガナイジング・ジャパンとしても必要ないと思った人材を、無知な取引先に押しつける。取引先でも商材の拡販に取り組んでもらうことで、取引先以外、WinWinの関係が成立する。

その取引先が、いち私企業なら構わない。しかし、組合民主主義がまったく行われないプレカリアートユニオンで、20%という違法な水準の拠出金をピンハネしながら、要するにIQの低い方から高い方へと、吸い上げられていたのである。

条件なき階級的尊厳の確立

私は、ふとした契機から、IQの正式な検査を受けたことがある。結果は、それなりに良好なものであった。だから、ちょっとしたテクニックを使うことで、価値がないものを価値があるように見せることとか、していない仕事をしたように見せることとか、不確実なものを確実に見せることがいかに容易かというのも、よく理解できる。

世の中には、それをマーケティングと表現する人もいるし、コミュニケーションという人もいる。また、オーガナイジングと位置づける人もいるだろう。

しかし、労働組合が目指すべき労働者階級の解放というのは、人が尊厳を持って生きることに対するあらゆる条件付けの撤廃であり、解体なのである。つまり、IQが低いと搾取されてしまうので、自己責任でIQを高めようということではなく、搾取する方が絶対に悪いので、IQが高い労働者も低い労働者も、一緒になって搾取者を吊るし上げて、IQの高低に関係なく、人間らしく生きられる世の中にしていこう、ということだ。

IQにしても学歴にしても体力にしても、およそあらゆるリソースは、持っていないよりは持っている方が望ましい。それを平準化するというのも一案であるが、いきおいスターリニズムに逢着しがちであるし、性質上分配できないものも多い(IQは、まさにそれだ)。

そのため、20%の拠出金が非弁活動であるということが知的に理解できない、十分な法的知識のない組合員がプレカリアートユニオンに金を取られ、そのプレカリアートユニオンも、O氏、太田氏の不労所得主義を見破れず天下り先として搾取され、セミナー費も取られ、そのセミナーの内部でも、市民団体ではあり得ないほどの高利益体質だということに思いを致さない人たちが「ロジ」としてこき使われ、搾取されてきた。

それにしても、「ロジ」なんて「リソース」以下で、あんまりにも酷いじゃないか。ボランティアで協力してくれる有志なのに、あろうことか、機能名で呼ばれている。ホテルの「ポーター」は荷物運びという機能名そのままだが、賃金が払われる労働者である。

そういうわけで、今回の拠出金返還集団訴訟を皮切りに、断固として、労働者の味方を装いながら、巧妙に近づいて搾取する貧困ビジネス勢力の解体闘争を進めたい。搾取は割に合わない、いつか必ず報いを受けるということを、徹底的に示していこう。同じビジネスを思いつく勢力が、二度と出てこないように。

現在のプレカリアートユニオンの三役は、清水直子氏、中野千暁こと太田曉彦氏、佐藤智秋氏とされているが、この3名は、いずれも、いわゆる「社会経験」がほとんどない。社会を知らない人、労働を嫌悪する人が社会や労働を語り、高IQのインテリ(中野氏に至っては京大卒である。他の2名も有名大卒だ)であることだけを足がかりに、誇り高き市民であり、労働者である仲間をだまし、不労所得のための「リソース」として侮辱してきたことに、問題の本質がある。

戦闘的民主主義

DMUに、他の「ユニオン」と決定的に異なるところがあるとしたら、民主主義を、学級会のような平和的話し合いの名称としてではなく、市民的自由を破壊する勢力に対する階級闘争の旗印として掲げているところである。

ナチスドイツの礼讃がドイツ民主共和国で違法とされているのと同じように、私たちは、ブルジョアジーの自由、つまり収奪への自由など認めないし、プレカリアートユニオン執行部で”民主的に決定”された生活保護利用者、障害者への差別も承認しない。民主主義というのは、職場において、また社会において、私たちの声を聞き、意見を反映しろと求める市民の、また求めざるを得ない立場にある市民の声なき声の結実なのであって、断じて、形式的な手続の名称ではない。

また、それらを推進する勢力の人権や営業権なども、市民社会に対する破壊活動——人と人との間に、壁を作るための活動、代表的には差別——をやめない限りは、絶対に認めない。(後の話にもつながるが、労働組合が、組合を潰そうとしてくる経営・職制の営業権や人格権を全面的に承認する範囲だけで”闘う”ことを前提とすれば、民事免責も、刑事免責も、最初から必要ないのである)

それゆえ、そのような勢力に対する私たちの活動や態度は、決して穏当なものでも、丁寧なものでもない。きわめて峻烈で攻撃的で、破壊的なものである。その戦闘を、権力の介入を許さず、なるべく長期的に、かつ効果的に継続するために、私たちは、法を学ぶ。

社内労組時代は、「民主」ではなく「デモクラティック」、代表者も「執行委員長」ではなく「代表者書記長」と一段下げて丸まろうと思っていたが、魚心あれば水心、経営が戦闘を望むならば、私たちも戦闘を望む。

労働運動とは、本質的に、戦闘力のうねりである。生活資金たる給与の不支給、職場からの排除、事務所の取り上げ、マスメディア、政治家と、ありとあらゆる権力を合法的に、かつ無制約に行使できる資本・経営に対して、労働者が対等の立場に立とうとすれば、いきおい、違法なやり方に行きつかざるを得ない。上に掲げたもの全部を、労働者は持っていないからだ。

そうであるからこそ、憲法28条は、そのような闘争団体であるところの労働組合に対し、民刑の免責を定めている。代表的な争議行為であるストライキが、単なる不就労(出勤しないこと)でしかないとすれば、刑事免責は、もとより必要ですらない。ところが、実際には、単なる不就労に留まらないことを前提として、刑事免責が規定されている。つまり、使用者が行使する権力に代えて、労働者は、一定の手続と要件のもとに、実力という形で、権力を行使しても良いということだし、そうすることで、私たちは、人間らしく働くための職場を勝ちとっていけるのである。

プレカリアートユニオンのアルバイト職員時代、あるビル管理会社の不当解雇事件を解決した。中野千暁こと太田曉彦氏が長期間放置していた事件だが、満足のいく条件で解決したところ、兄弟の介護と年老いた親を抱える組合員は、この上なく安心した表情を見せてくれた。といっても、当時の私の倍ぐらいの年のオジサンなのだが。

その時の満足感が、私にとって、労働運動家としての原点になっている。あの時のような気持ちが、社会的に、もっと身近なものになるように。この冬、ここ一番で頑張ろう。

 

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