不法と専制を乗りこえて(続)

不法の罪悪と専制への渇望

しかし、ブラックユニオン関係者にとって、不法の罪悪と専制への渇望がこれほどまでに深いものだとは、正直なところ、思いも寄らなかった。

以前、NHKから国民を守る党とカルト宗教の類似性を指摘したオウマーこと西村氏の記事が余りにもプレカリアートユニオンによく当てはまるのでそのパロディを紹介した。

そこで既に指摘したことだが、プレカリアートユニオン内部で、手段を問わず”地位”にしがみつき、暴力も不法行為も厭わない連中の共通点として、この社会内部の、一般的かつ正当な方法で、彼らの(なぜか分からないが非常に高い)プライドを満たすことができなかったという事実があると考えた。

それが故に、彼らは、反社会的な言動をまったく厭わない。”ありのままの自分”を認めてくれなかった社会に対する報復だけを目的として、社会を破壊しようと考えているからだ。

それを階級闘争にすり替えるつもりで、一部の運動家は、労働者なのだからブルジョア法を破壊するのは当然だと主張することがある。しかし、彼ら自身がブルジョア法の中で十分に評価されて成功していたならば、間違っても、そのような主張はしなかったに違いない。

プレカリアートユニオンの清水直子こと関口直子氏は、組合の街宣活動を、「合法的な嫌がらせ」であると豪語していたこともある。普通なら、また、職場でまっとうな人間関係が構築できている人であれば、明らかに違和感を抱く発言だ。

ところが、プレカリアートユニオンでは、それが批判されるどころか、賞賛の的になる。土屋トカチこと土屋正紀監督を具して都庁のゲートを強行突破することが、なぜか、「カッコいい」と評価される。

つまり、彼らは、学校の成績が悪く、その責任が自分にあるということが認められないので、翻って学校教育や管理教育に反対するとして「自由」を騙っているアウトロー(笑)の悪ガキにすぎないのである。

尾崎豊が世を去って久しいというのに、中学校の窓ガラスを割るのがカッコいいとか、決闘まがいのタイマンで勝つのがカッコいいという世界の夢から、いまだに醒めていないのだ。

当初、私たちは、いかに中二病の彼らでも、こんなにバカバカしいガキ同然のゲームは、指摘されれば(団交を申し入れられればすぐに止めるだろうと考えていた。もう40代も半ばの、いい大人なのだから。

しかし、彼らの精神年齢の見積もりを誤ったようで、都労委の期日は今度で第6回を迎え、いよいよ審問が近づいている。

今だけ、カネだけ、自分だけで便利に使えるブラック労弁にさえ代理人を降りられてしまった被申立人・清水直子こと関口直子氏は、今何を思うだろう。

私は、裁判を取り下げろとして常軌を逸した嫌がらせを繰り返し、自らは「福祉の恩恵をしたたかに享受」しているという件の人物に、プレカリアートユニオンその他のブラック企業の心性と、まったく同じものを感じる。

その人物が法廷で堂々と弁論に臨む(または弁護士を立てる)ということは、いわば、清水直子や武内惇が転職活動をするのと同じことで、一般社会の良識、すなわち広義の「法」の内側に入っていくということに他ならない

そして、プレカリアートユニオンの彼らにとってそれが無理であるように、その人物にとっても、それは無理でしかないのだ。

彼らを強烈に引き寄せてやまない不法の世界に、一体どのような魅力があるのか、私には、まだ理解できていない。しかし、最近は、理解してあげたいとも思わなくなってきた。

プレカリアートユニオンで不法と専制が繰り返されている間、多くの組合員が、それによって非弁活動の上前をはねられ、仕事を失い、職場社会からはじき出され、清水直子こと関口直子氏の役員報酬がうなぎ上りになる一方で、不幸に陥れられてきた。

五大紙を全部落とされたけど五大紙相当の報酬がほしいという氏の気持ちに、あるジャーナリストは、深くため息をつきながら、心なしかの同情を示していた。

しかし、その身勝手な欲求を満たすことの引き換えに、あまりにも多くの、真面目な勤労者を生け贄にしてきたのではないか。

上を見ればキリがない

不法な手段で常に自分がトップに立ちたいというのではなく、仲間同士で助け合おうという原点の気持ちに帰ってもらうためには、教育が必要である。

その教育とは、不法行為の挙句には、法の側に立つ一般社会総体からの制裁として、絶大な代償の支払いが待っているという真実を、具体的に示すことではないか。都労委の命令も、かの人物に対する強制執行も、その一形態として整理できる。

いわんや、前田のような若造の組合に〜などと、趣旨がわからない理由で当組合を侮辱しているのであれば尚更だ。むしろ、いい年をしているのに、年齢以外に自慢するものがない彼ら自身のほうを、よくよく反省してもらいたい。

件の人物は、グレタ嬢を引き合いに出して、前田が言っていることはきれい事に過ぎないと批判していた。

思えばプレカリアートユニオンの清水直子こと関口直子氏も、自身が得ていた、手続的に不当で超高額な役員報酬を指摘された際、「霞を食っては生きていけない」と叫んでいた。もっとも、私は、700万円の報酬が「霞」だと思ったことは一度もないし、そんなにカネが欲しいのであれば、自分で会社を立ち上げればいいとしか思えない。

しかし、専従を置かずとも、非弁活動として違法な拠出金を取り立てなくても、十分に組合活動ができるということを、ここ1年弱、私自身の犠牲と負担において示してきたつもりだ。

そして、プレカリアートユニオンだけでなく、件の人物という24時間体制で嫌がらせをしてくるモンスターに親戚筋まで攻撃されてもなお、闘いの手を止めていない。

つまり、カネを700万円貰えないと組合活動ができないとか、ブラック労弁と結託して50%弱の上前を得ないと組合がもたないとかいうのは、現実論でも何でもなく、単なる無責任な甘え、言い訳だったのだある。

そのことは、私の、勤務先での過去3ヶ月の平均労働時間が、雄弁に論証してくれることだろう。

言い訳と暴力の労働運動を乗り越えて、良識と法、そして学習の労働運動を。

といえばカッコいいが、私も人間なので、実は昨夜も、親戚に対する不法行為の絶大な攻撃力を即時に阻止できない自らの無力さに打ちひしがれていた。しかし、礼を尽くして末席に加えてもらってきた地元のコミュニティーに慰めてもらい、すっかり復活した。

不法な実力ではなく、法による統治を希求してきた市民社会のエネルギーは、時代や国境を越えた絶大なものであって、プレカリアートユニオンや件の人物ごときが暴れ、泣きわめいたところで、到底破壊することができない不抜の要塞なのである。

民主主義が民主主義の敵を逮捕し、制裁を加えるがごとくに、市民社会の敵は、市民社会の法と手続に則って、厳しく処断されなければならない。

相互尊重という人民の良識に、国境は存在しないのだ。これぞ、労働者の国際的な連帯ではあるまいか。

組合長 前田史門

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